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早朝から魂の叫び。製作をする人へのエール

 投稿者:ゲンベイ  投稿日:2017年 7月13日(木)05時40分3秒
  通報 編集済
  ばたさん、お久しぶりです。

ばたさんの仰るとおりで、私のスタンスは当にそんな感じだと思います。
自分でも考えが、わかりやすく整理できたような気がします。

私は「字」というのは、作り手の人間性や性格、心、育ってきた環境、家族や故郷、その時の心情、葛藤
そういった諸々を含めての個性が出るものだと考えています。

楽器だと、それは「音」に表れます。国民性や性格、住んでいる町並み・環境、教養や知性、
それがモロに出るものです。控えめな音色、押し付けがましい音色、上品な音色、下品な音色。
弦を弾けば、音にそれが乗っかって香りのように感じ取れます。
何十本と弾いてきた経験から言うと、日本人の作品は作りも音も、とにかく真面目。遊びはなく
カッチリと作り込んで来る。ラテン民族は情熱的、官能的。細かいところは気にしない。
ゲルマン人は真面目、品格が高い。アメリカ人は革新的で伝統はあまり重視しない。作りはラフ。
オーストラリア人は結構大雑把。パワフル。そんな感じです。
外国人に駒を作らせたら面白いでしょう。日本人ほど、真面目には作らないでしょう。

話はそれましたが、
駒は、2次元の字母、それに加えて彫りがあって、埋めがあり、盛り上げる3次元の世界です。
よって、さらにその人間性が凝縮されるものと、今まで感じてきました。

活き活きとした漆、死んだような漆、いろんな表情の駒を今まで見てきましたが、
現代の作品には、活き活きとした漆の駒はあまり見かけなくなりました。ある事にはあると思います。

没個性の時代でしょうか。右に倣えで、皆さん綺麗な駒を作る事に一生懸命です。
ただ、綺麗な工業製品のような精度の駒を作る事が目的のように見える事もあります。
そして、それを賛美するファンの方達もごく普通にいます。それはそれで良いです。
でも、木村さんの良い時代の駒を見て欲しいと言いたくなる。見ればわかるはずです。

私が、字母製作を通して学んだ事は、誰かの真似をしても
自分にそれを越える人格や才能が無ければ、それを決して超える事はできないという事です。
そして、伝統を充分に研究した上で、自分の字を作る事ができなければ
それは作品として「本物」ではないという事です。所詮は何々モデルで終わってしまう。

人間の作るものというのは非常に難しい。人間の心と同様に酷くあやふやなモノでもあります。
もちろん、仕事ですから気の載らないときもある、でも割り切って
とりあえずは良いものを作ろうとする。
作る前に、この人に頼まれたから魂を込めて作ると意気込む方もあるでしょう。
だからと言って、良い作品が出来るとは限らないです。力んじゃうとダメ。そこが難しい所で。

私は海外の楽器製作者とやりとりする事もあるのですが、精神性を重んじる日本人や韓国人の中には
製作してもらう前に、とにかく魂を入れてくれと強く言う方がいるそうです。
広告なんかでも手工品は、魂がこもったとか、よくセールストークでありますよね。

でも、欧米の製作者は、それを込めたか込めないかじゃなくて
出来上がったものが良いか悪いかだろって、そういうドライな考えの方もいます。

私は現代の駒師さん達の作品、
冒険をせず、無難に、失敗しないように心がけて作っているように思えます。
遊び心がないという。そんな感じがするのです。

数次郎の駒からは、才気がほとばしる様な勢い、格調高い美しさを、
奥野の駒からは、力強さ、たくましさ、豊島とは異なる方向性を目指したオリジナリティ。
静山の駒からは、自然体のやわらかさ、美しさ。人間誰しもが持つある種の不安定、不完全の美、
作品ランクもこれが同じ人の作った駒か、と思わせる程の振れ幅の面白み。

木村の駒からは「べらんめえ」
「なんでぇ、やろうってぇのか!この野郎」(私に何か意見があるんですか?)

初代竹風の駒からは、穏やかさを感じさせるような素朴さ、垢抜けてない感じ、でもそれで良い。

昔の名工たちの駒は、時期や作品ごとに作風や雰囲気、出来加減のバラツキもある。
漆は魔物と言いますから、思ったように出来なかった時もたくさんあったのでしょう。


駒師さんや、駒の好きな方に問いたいのは、
「自分の色が出せなくて、何が作り手でしょうか」って事です。生みの苦しみは何にだってあります。
字母への挑戦を諦めてはいけません。

毎回、同じ字母紙で駒を作って楽しいのかと。それでも出来具合に差は出るでしょうが、
そこに気付く駒好きが今の世の中どれだけいるでしょうか。書体の出来よりも木地に目が行くのでは?

字母紙を無視して彫ったって良いんです。彫るときにこの方がイケてるじゃんと思ったのなら。
埋めを無視して盛り上げたって良いじゃないですか。その技量があるならば。

私は、なんちゃって演奏家でもありますが、楽譜が全てではない。その時のパッションを表現するのです。

製作活動を志す方は、
伝統を深く研究した上で、自分を自由に表現すべきです。日本人はおとなし過ぎる。
影ではいろいろ言う癖にです。
私は自分の字母を持っていない駒師は、自分の中では認めていません。
2世ナントカって呼ばれた人たちで、大成した人がいるでしょうか。

新しい才能が将棋界に現れて、駒の世界も
もうそろそろ、人真似から脱却する時期ではないでしょうか。大名人が現れる時、名人駒師も生まれる。
歴史が繰り返すといいですね。そう心から願います。
 
 
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