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小ネタ三つ

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2017年 5月29日(月)21時12分40秒
  今日、深酒して帰ってきたら、午後8時過ぎというのに三日月が残っていて、
しかも、山田ミネコに大きな影響を与えた鈴木光明の短編であった、
「主人公の少女の爪がパチンとはじけたような月」みたいな形容さながらの、
少し黄色い月が西の空に残っていた。

さらに、自宅近くの神社の赤い門が締まっている前に、
数十人の大人の人たちがたむろしていて、
先生というような男性が、よくわからないが懸命に解説していた。
よくわからない。

携帯電話の充電しようとつなげようとしたが、線を受ける口がない。
よく見ると、買い替える前のケータイだった。
いまだにスマホではないのだが、新しい機種の電池の減りが早い。
だから、どうした。
 
 

ご無沙汰です

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2017年 4月20日(木)22時04分10秒
  すみません。何も書かなくて。

で。
今回のネタは。選挙区割りの話。

政令市にお住まいの方には、「だからどーした」な話なんですが、
衆議院の選挙区割りがひつじ市内で分かれてしまいそうという話になりました。

地理的にどうという理屈についてはそれぞれ意見があると思うのですが、
単純に、選挙事務は大変だろうな、と素朴に考えたのでした。

期日前投票にしても、コンピュータ回線をつないで市内の複数の投票所を設けたのに、
たぶん、選挙区が分かれると、期日前投票所も分けなきゃならないのでしょう。
そもそも、期日前の電子的な選挙人名簿を分けるのも大変だと思います。
市内の転居も、選挙区が変われば、いろいろ面倒な場合わけが必要になります。
「周知期間」というのは、事務方の準備期間なのだと改めて思いました。

余談ですが、今のシステムだと元号にも「周知期間」は必須です。
29年前は、訂正ゴム印で対応できたのですが。
 

映画「この世界の片隅に」を見る

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2017年 2月21日(火)22時43分46秒
  映画「この世界の片隅に」が口コミで多くの観客を集めているらしい。
それどころか、各種映画賞においても受賞が続いている。

こうの史代による原作の良さについては、十分に知っている。
肯定的であれ否定的であれ、ともすれば「政治」が語られてしまいがちな「戦時」を、
広島から呉に嫁いだすずを主人公に、庶民の日常に焦点を当てることで、
現代の読者にも手触りが感じられる具体的なエピソートで「時節」を表現していた。

むろん、その間、数度にわたる軍港・呉への空襲があり、広島には原爆が落とされる。
しかし、どんなに窮乏していても、どんなにつらい出来事が続いていても、
今日の一日を暮らしていかねばならないし、明日という日もやってくる。
少々のんびりしているが明るいすずの視点で当時の当たり前の生活が描かれることで、
結果的に、その理不尽さに気づかされ、腑に落ちるような物語となっていた。

そんな原作が映画化された。
監督の片淵須直は、「アリーて姫」や「マイマイ新子と千年の魔法」で知られているが、
こうの史代がキャラクターを描いている「花が咲く」のアニメーションを監督している。

映画化の構想から完成まで6年、
片淵は、まず原作に出てくる広島や呉の街をたんねんに取材し、
当時、暮らしていた人たちの記憶をたよりに、街並みを丁寧に復元したという。

それは、すでに原作の時点で、どの場所なのかがわかる程度には、
広島出身のこうの史代による独自の取材によって描かれていたということでもあり、
そうした取材に裏打ちされた原作だからこそ、
とてつもない手間と時間をかけねばならなかったということでもある。

そんなこともあって、原作を知るものとしては、エピソードの取捨選択はあるものの、
原作の味わいを損なうことなく、きちんと作ってくれた映画であるように感じられた。
反面、映画が賞賛されればされるほど、それは原作の良さなのに、
というイラダチもあった。

しかし、原作そのままと感じさせてくれるような映画に仕上げることこそが、
監督・片淵須直が最も努力したであろうところであり、
それを違和感を感じさせることなくやり遂げたことが、監督の一番の功績なのだろう。

ちなみに、映画化に際し、
パイロットフィルムの制作費用がクラウドファンディングで募られ、
目標の2000万円を数日で突破すると、最終的に4000万円近くにまで達したという。
「この世界の片隅で」を映画化してくれるなら、片淵須直が監督するなら、
という人々の思いが短期間でのクラウドファンディングを成功させたに違いない。

映画のエンドクレジットでは、最後の最後のところで、
3000人を超えたというクラウドファンディングによる出資者の名前が並んだ。
その圧倒的な量に、この映画がたくさんの人に支えられていたことを実感させられた。

だから、もし、まだこの映画を観ておられ方がいるならば、ぜひ見てほしい。
そんな発信をすることが、
出資しなかった自分が貢献できそうな数少ないことであると思うので。
 

お見込みの通り

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2017年 2月13日(月)20時29分26秒
  >オイレンシュピーゲルさん

お返事が遅れて申し訳ありません。
お見込みの通りです。

冗談にしては良く出来たと思って、嬉々として唐突に書いてしまったのですが、
妙に、説得力があって、冗談とわからないのではないかと危惧していたら、
たれっちから、意味わからんとツッコミが入りました。

オイレンシュピーゲルさんをだましたのなら本望ですが、
冗談としては失格でした。
 

あわなほうりょうへーん?

 投稿者:オイレンシュピーゲル  投稿日:2017年 2月 4日(土)12時39分26秒
  解説を聞くまで全く分かりませんでした。

放流斑、本気にしてました。いわれてみれば『抱きしめたい』が奇妙であったのですが。
 

パスワードは、ビートルズ

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2017年 2月 2日(木)20時58分2秒
  下の書き込みの、意味が分からんとたれっちに叱られた。
さほどの意味はなく、ただの戯言であります。
 

「抱きしめたい」な話

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2017年 1月28日(土)19時20分53秒
  本当に、ここだけの話だが、
ヤマメと並んで渓流魚として知られるイワナは、
養殖にはなじまず、一部で稚魚の放流などがなされているだけらしい。
それでも、放流されたイワナには独特の痕が残るものらしく、
専門家の間では、「岩魚放流斑」と呼ばれているらしい。
 

映画「聖の青春」を見る

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2017年 1月22日(日)13時19分14秒
編集済
  新年のあいさつが遅れました。
本年もよろしくお願いいたします。

--

将棋棋士・村山聖八段(贈九段)が29歳で亡くなったのは、1998年8月8日のことである。
その村山九段の生涯を記録したノンフィクション「聖の青春」を、
連盟機関誌「将棋世界」の編集長だった大崎善生が発表したのが、2000年2月である。
2001年には、すぐに新春スペシャルドラマとなっている。

その「聖の青春」が、2016年になって、構想8年という時間をかけて映画化されることとなった。
生前の村山九段が「いつか倒して名人になる」とあこがれていた若き名人・谷川浩司は、
日本将棋連盟の会長として棋界を代表する立場となり、諸事情によりその職を辞している。

それほどまでの長い時を経ても、「聖の青春」は多くの人に読み継がれてきた。
映画化が実現するまでに相当な時間がかかったが、それも必要な時間だったのだろう。

主演の村山聖役には、松山ケンイチ。
原作を読んで、村山聖を演じたいと熱望していたところ、
ちょうど進行していた映画化の話と歩調があったものであるらしい。
なんと20kgも太って、見かけからも村山本人に似せてきている。

「相手役」の羽生善治役には、東出昌大。
もともと将棋ファンだった東出は、プロ棋士の世界をよく知っているようだ。
羽生本人から譲られたという「当時、使っていたメガネ」をかけ、なかなかの羽生ぶりをみせる。
好きだからこそ、どんな立ち居振る舞いなら羽生らしくなるかを、きちんと心得ている。

ノンフィクションでもなく評伝でもない、あくまでフィクションとして制作されたこの映画では、
村山と対局する「棋士」としての役割は、ほぼ羽生に集約されている。
ともに高みを目指す仲間であるとともに、常に一歩先を進んでいる者として、
どうかすると、村山にとって、もっと知りたい憧れに満ちた存在としてとして描かれる。

それゆえ、終盤に置かれた、2時間以上の長廻しだったという羽生との最後の対局のシーンは、
その対局が粘っこく、体力と気力の限りを尽くしたものであったことを踏まえると、
「棋は対話なり」の言葉を逆手に取ったような、長大なラブシーンにも見えた。
ちなみに、その棋譜は実際に羽生との最終対局だったNHK杯戦決勝を再現しているが、
体調をいとわぬ深夜に及ぶ激闘というエピソードは、順位戦での対丸山戦のものだ。

一方、聖の「青春」の部分を引き受けたのが、先崎九段をモデルにした「荒崎学」で、
酒の席での乱行に同席するような、遊び仲間の無頼な若手棋士を柄本時生が好演する。
ついでにいえば、先崎九段は映画同様、村山の死の報を温泉旅館で聞いている。
ただ、酔いつぶれた村山が嘔吐したのは、佐藤康光九段の新車だ。

先輩棋士・橘正一郎役は、滝誠一郎七段がモデルとされるが、
安田顕は、むしろ真部一男九段を思わせるオシャレな中堅棋士として演じてくれた。
師匠の森信雄七段は実名での登場だが、リリー・フランキーはそっくりの風貌だし、
人情味あふれる師匠ぶりは好演とされるのだろうが、なぜか私的にはしっくりこなかった。
関西的な「緩い感じ」があまり感じられなかったせいだろうか。

それはともかく、映画を観終えてまず感じたのが、感謝だった。
私が最も熱心な「見る将棋ファン」だった時代の鮮烈な記憶として、
棋士・村山聖の登場、鬼気迫るような棋譜と壮絶な死、
多くは大崎善生が明らかにしてくれた、その陰にあった聖の「青春」。

それらを、きちんと映画として、生身の役者を使って描いてくれたことに、
当事者でも何でもないのに、感謝の念でいっぱいになった。
反面、この映画が村山聖を全く知らない人に、どこまで届くのかも気になった。

蛇足ながら、現実の村山聖も少女マンガを深く敬愛していたのだが、
映画の中で村山聖が古本屋で購入していた「いたずらなkiss」の作者・多田かおるもまた、
38歳の若さで夭折した少女マンガ家である。
 

三連休のこと

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2016年12月28日(水)20時29分31秒
編集済
  12月23日
たれっち、出発予定日。ところが北海道の鉄道が大荒れの上、飛行機も遅れ気味。
13時発の飛行機がなかなか飛ばない。結局、15時を過ぎて欠航が決定。
部屋を片付けた状態で待機していたが、関空まで迎えにも行けず。
たれ、翌日、午前の伊丹便に予約変更した上で、やっとの思いで自宅に戻る。

12月24日
新千歳空港の飛行機は飛んでいるのだが、今度はJRが動かない。
たれ、午前便を夕方の関空便に変更して、午後ようやく動き出したJRで新千歳へ移動。
疲労が蓄積したたれを気遣って、ご褒美クリスマスケーキを確保。
この時点では、夕食を新千歳で食べるか、関空についてからかという牧歌的な話題をしている。

ところが、午後に入って、飛行機が遅れだす。
30分が1時間になり、1時間は2時間になる。午後6時の便は午後8時発のアナウンス。
関空からのリムジンバスは、午後22時過ぎが最終。鉄道を使っても23時過ぎが限界。
これまでの流れから、さらに遅れることが見て取れたので、
夕刻になって、泉佐野のビジネスホテルを確保。ここなら、24時前まで鉄道がある。

ところが、関空に着くと、まだ飛行機は新千歳を飛んでいない。
午後6時台が午後8時台になり、結局、午後10時台の出発。
到着予定時刻は、なんと午前0時30分。

この間、沖縄から帰ってきた職場の若い人に姿を見られていたらしい。
声をかけづらい雰囲気だったので、遠目に見送ったそうな。
どないやねん。

荷物を引き取ると、時間は25時。
泉佐野ならタクシーもいとわずという読みだったが、まったくタクシー乗り場に車はいない。
あらかじめ空港のインフォメーションで聞いていた番号に電話をして、
ずいぶんと待ったが、ようやくタクシーを確保。ホテルへ入る。

結局、26時ごろにチェックイン。
今年出来たところの「新館」なるものは、2階の渡り廊下を過ぎると、完全にワンルームマンションの作り。
部屋は片側にしかなく、部屋のない側の廊下から手を伸ばすと完全に青天井。

いかにもワンルームマンション的なユニットバスで温もって、あとは寝るのみ。
年寄りだから、朝はきちんと目覚め、滞在時間7時間くらいでチェックアウト。
泉佐野駅前のパン屋で朝食、空港に戻って、リムジンバスに乗って、自宅に戻ると、
もうお昼前。

途中で勝った惣菜で昼食、昨日の夜食べるつもりのケーキをワインで流しこむと、
ようやく安心して、また眠くなる。
二人で爆睡して、夕刻目が覚めたら、もう、三連休は終っていた。

なんでやねん。

さて、明日は大掃除かなあ。
 

真田丸・最終回を見る

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2016年12月23日(金)11時33分56秒
  何が起きるかを、皆が知っている最終回です。

「新選組!」のときにも念入りなフィナーレをやってくれたので、
きっと、何らかのフィナーレをしてくれるだろうとは思っていました。、
また、「望みを捨てなかった者だけに道が開かれる」のセリフを繰り返していたので、
きっと、なんらかの未来につなげるような話にするだろうととは期待していました。
そして、そんな期待にすべて応えてくれるとともに、
最後まで「まさか」という驚きに満ちた「最終回」でした。

有働さんのナレから入るのは。真田丸築城の回でもあったので想定の範囲かもしれません。
しかし、信之が一夜の宿を求めた尼寺に登場したのは、まさかの本多正信です。

決戦前夜の大阪城にたむろしているのは。まさか「ダメ田十勇士」の面々です。
真田十勇士は出さないと宣言していた三谷のエクスキューズであるかのように、
あるいは、本編とは無関係だった真田丸PV「ダメ田十勇士」を惜しむかのように、
三谷は、彼らを本当に大河出演者として配したのでした。

まだ豊臣優位での和睦を探る源次郎は、茶々と面談しますが、
「お上様」の仮面を外した時の茶々は、過呼吸で自分を見失いそうになります。
源次郎は、魔法の言葉「望みを捨てなかった者だけに道が開かれる」を使って鎮めます。

そして、最後の戦い。
思わぬ展開で乱戦になるも、まずは大坂方有利で進むのですが、
なぜかこんなところにも真田隊がいます。

勇ましいだけの信政は、またも判断を誤り多くの犠牲者を出すというあたりが、
「勇ましい豪傑」よりも、それ以前の調略や諜報戦が戦の勝敗を決するのだという、
三谷幸喜の非チャンバラ志向を如実に表しているところです。

とはいえ、源次郎は、
もはや、チャンバラだけで家康と雌雄を決せねばならなところまで追いつめられています。
おかげで、三十郎はまさかの小物扱いをされ、命拾いをしました。
お前は生きよ、というのが源次郎から三十郎への最後のメッセージだったのでしょう。

城に戻った大野治長が兵を動揺させたという史実を、
まさかの千成瓢箪で象徴させるあたりも三谷の上手さです。
しかし、大角が厨に火をかける前に、
間者発覚からの自害のふり、真田謀反の密告というひねりには驚かされました。

それでも出陣しようという秀頼を押し留めたのが、
まさかの茶々の言葉「望みを捨てなかった者だけに道が開かれる」。
なんというか、もう抜群のタイミングでずれてしまっています。

城中での内記の奮戦と、まさかの懐にひそませていた昌幸の位牌。
城に戻ることができたこと自体がまさかな作兵衛の城の中庭の家庭菜園での最期。
作兵衛を便利に使い過ぎている感はありますが、まあいいでしょう。

そして、単騎、家康陣に向かった源次郎に、まさかの「手を出すな」と叫ぶ家康。
「自分を殺しても徳川の世は盤石」と宣言する家康に、「百も承知」と返す源次郎。
やはり、この戦いは豊臣と徳川の天下を分けるものではなく、
むしろ源次郎が背負う真田と徳川の私怨であり、私戦だったように見えてきました。

とはいえ、確かに源次郎は世に名を残すことはできました。
子どもたちも、なんとか無事で暮らしていけそうです。
まして、信之はすっかり徳川家の大名として、新しい時代の人になっています。
さすがに、佐久間象山に期待をつなげるのはやりすぎかとも思いましたが。

というわけで、今回の秀逸は、まさかのナレ死から生き返ったかのような且元でも、
まさかの身体中が痛くなった佐助の55歳という告白でもなく、
千を秀忠陣に贈り届ける途中、単騎家康本陣に向かう源次郎を見つめ、
「源次郎さま」とつぶやくきりの女の顔。
 

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