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完読、ありがとうございます。

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2018年 2月22日(木)21時01分48秒
  堂々たるSFぶりに驚かれたかもしれません。
むしろ、純粋なSF人である佐藤史生が、神殿だの幻視だのといったファンタジーな世界を
リアルにファンタジーな存在である幻視能力者を抹殺してまで、
科学の側で描ききろうとしたのです。

まだ20代の作品なので、「精霊の守り人」のような洗練さはありませんが、
帝の徹底的な神聖ぶりと、その神聖さを冷静に見る聖導師らの星読みという関係は、
あくまで神聖な神殿と、その神殿による科学の独占という「夢見る惑星」の設定とよく似ていると感じました。
破壊的な災厄で全国民的な避難を強いられるという展開も含めて。

彼らが、実はパンゲアの住人で、恐竜とともに暮らしていた、というのは、
SFだかファンタシーだかは置くとして、強烈なハッタリです。
細かいことは許してやった下さい。

下にも書きましたが、この物語の主眼は、
いかにもファンタジーな分野である王とか、神殿とか、大神官といった存在を、
「谷による知的装置の独占」によって、どこまで描ききることかにあります。

夢物語と思っていたら実は私たちの過去だったということで、もう一度驚いてください、
という逆・猿の惑星方式なのです。
彼らは火星に帰りません。そんな科学力は失われています。
イリスを神殿の中空に浮かべるのが精一杯なのです。
痕跡については、海の奥底にあるじつはあるくらいにしておいてください。
 
 

結構疲れた 夢見る惑星

 投稿者:オイレンシュピーゲル  投稿日:2018年 2月20日(火)23時01分34秒
  4巻の中盤になって、「おい!これはSFだったのか!?」と、驚くことしきりでした。ただ、ひつじさんが「佐藤史生は、SFの人」と解説してくれていたおかげで、前ほど取り乱すことはありませんでした。でも、物語の枠組みというのか、ジャンルというのか、それを探りながら読むには、振れ幅が多きすぎて、なかなか疲れました。「精霊の守り人」の流れで紹介されたこともあり、「ファンタジー」という枠組みを自分で強くはめていたせいかもしれません。

4巻の中盤で、「竜」や「科学」が、ファンタジーの要素ではなくSFのものと判明。時は中生代、幻視できない火星人の一団が地球にやってきた、という基本設定がようやくはっきりします。いくつかヒントはあったようにも思いますが。そういえば哺乳類は出てこなかったなあ、などとも。

立たされた役割を終えて飛び立つ二人には、解放感と感動がありました。

ただ、この後、これらの人々は、存在したことさえ全く残らなくなるほどの(恐竜の化石は残るのに、彼らの化石・生活の痕跡は全く残らない)大絶滅を迎えることとなるのです。でも、まあ、生存が数千万年にも及ぶなら、それは生物として幸せであり、当然のことといってよいのですが、痕跡が残っていないことを、SFならどう処理するのでしょうか。パンゲアの分裂まで持ち出したのなら、いい加減な終わり方はないはず。翼竜の登場はシベリアの大噴火の後のはずなので、大噴火で溶ける設定にはできません。ネットで調べると、後日譚もあるようです。痕跡も残さず火星へ帰るとか?
 

佐藤史生は、SFの人

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2018年 2月14日(水)20時55分47秒
  「夢見る惑星」は、佐藤史生の初めての連載であり、
きっと読んでいくうちに、「それはないだろう」ではなかったかもしれませんが、
「そういう設定だったの」とひっくり返っていたのかもしれません。

実は、佐藤史生はけっして「夢見る」ようなファンタジーな作風ではなく、
後にはサイバーパンクな作品も手がける、翻訳ものSFにどっぷり漬かった人なのでした。

3巻までお読みなら、「幻視」の科学的な解決の数々をご覧になられていると思います。
「夢見る惑星」は「幻視」にすがる人々の「宗教」ごごろを
「科学」で説明しようとした意欲的な物語なのです。

したがって、ファンタジーの暴力による痛快さを求められたとしたら、完全に裏切られます。
それを補完するのが、ホンモノの舞姫のシリンであるのだと思います。
シリンには、美しい身体とその動きが持つ宗教性という、
科学によるイリスの「ペテン」とは異なる形での宗教へのアプローチがあります。

「谷」については、世俗の王が強くなりすぎたことに対して、
大神官の力で「谷」の力を回復しようという思いがあったのでしょう。
幻視の強さが大神官である要件としていながら、
そこに大神官がいるならば、もはや幻視の力は問わないという「谷」の側の宗教観も見て取れます。

このまま、楽しみながら読み進められますことを。、
 

どこが「それはないだろう」だったのか

 投稿者:オイレンシュピーゲル  投稿日:2018年 2月13日(火)18時42分9秒
  それにつきまして。

こちらとしては、ファンタジーを読むにあたって、様々な設定に付き合って、その世界に入って行く努力をするわけですよ。主人公イリスの、並外れた幻視能力が物語のゆくえを決めていくのだろうな、というところまで、自分の頭の中で一所懸命作り上げてきたわけですよ。

それが、1巻も終わりに近いところで…。そこまで引っ張ってひっくり返すんかい! …です。

確かに1巻をもう一度読み返すと、それを匂わせるものは散りばめられているのですが、
なかなか承服しかねるものでした。しかも暗殺という陰謀を平然と指示する冷徹さ、ファンタジーの主人公はこんなんじゃない! というところが初心者の感想であります。

神秘の人だと思っていたら、科学の人だったとは。王になるよりも大神官になる方が、人々を救えると、ライジアも「谷」も考えていたのですね。

人々を救うという大命題があるにせよ、これはもう、陰謀渦巻く政治の話(主人公側が一番仕掛けている)なのだろうと思います。権謀術数は「谷」のお家芸だとか。

今、3巻のはじめくらいを読んでいます。
おそらく強大な幻視能力を持つであろう踊り子シリンが、(僕が勝手に思い描く?)ファンタジーらしさを持たせてくれるかもしれない、と期待しつつ、読み進めていきましょう。

ファンタジーは、後からご都合主義的にいろいろなものが出てくると、何でもアリじゃん!ってことになるので、一定の「縛り」も必要です。物語としてのリアリティーを確保するためです。むろん、それがより大きな感動をもたらす場合もあるので、一概に否定はできないのですが。妙な発散が起きないことも願いつつ…。
 

それは、心強い。

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2018年 2月 6日(火)20時54分59秒
  > オイレンシュピーゲルさん

思わぬ吉報です。
「夢見る惑星」を買っていただけましたか、読み始めていただけましたか。

世界観はお読みいただいたとおり、「精霊の守り人」に通ずるものがあります。
むしろ、私の「精霊の守り人」の読み方が、「夢見る惑星」を引っ張りすぎたかとも思います。

「夢見る惑星」は、「精霊の守り人」よりも水面下の科学の発達をしていて、
「精霊の守り人」のナユグのようなファンタジー異世界は存在しておらず、
それでいて、ファンタジーな異世界を信じかねないくらいには中世的で、
なおかつ、主人公が圧倒的に非神秘的で科学的な存在であったりします。

どこが「それはないだろう」だったのかはよくわかりませんが、
イリスは極めて科学的に、宗教的な民を導いていくことになります。
そして、そこに、精神的かつ身体的にホンモノである舞姫・シリンが好対照となります。

いま、1巻を改めて読んだのですが、改めて感動しながら読んでます。
後のことを知っているからかもしれませんが。
 

佐藤史生の「夢見る惑星」

 投稿者:オイレンシュピーゲル  投稿日:2018年 2月 5日(月)20時51分58秒
  アマゾンで古本を4巻購入しました。送料込みで1349円でした。
少女漫画特有の画質で、僕には人物を絵で把握することが難しい(男か女かさえも)のですが、第1巻を読んだところです。

1巻の終わり近くまではそんな世界なのだ、ということで読み進めていたのですが、終わりごろ、
えぇ~?! ってところです。
それはないだろう、なぜそこまで引っ張ったんだ、なぜそんな風に仕立てあげる必要があったんだ、だからと言ってそうまでする?お前は何をしたいんだ? …ってところです。

「私は私自身ですらなかった。」みたいなことなのかなあ。

寝る前に読むので、多分ところどころ意識が飛んで相当時間がかかると思いますが。
 

精霊の守り人の最終回

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2018年 1月28日(日)17時38分30秒
編集済
  バルサも、新ヨゴ国も、あまりに大変な状況だったので、
このまま本当に物語をたたんでしまえるのか心配でしたが、見事な大団円でした。

まずは、ヒュウゴ。あんたも「見える人」やったんかい。
戦っている場合ではないと、タルシュの本陣におもむくチャグム、
そして、そこへ連れ出されるバルサ。
なるほど、この再会のために、バルサが捕えられる展開にしたのかとわかりました。

新ヨゴ国では、シュガが国の創建から伝えられている予言を読み解き、帝に上奏します。
いずれこの地は消える。それまでに新しい生きる場所を探せ、神には国をゆだねるな。
神の子として生きてきた帝の存在を否定するような予言ですが、
そのことで「代々の帝を苦しめ続けた」と謝罪するところがシュガの上手いところです。

つまり、代々の聖導師が代々の帝を人でありながら神のふりをさせてきたこと、
そんな聖導師が帝に対して施してきた帝王学そのものをシュガは謝罪しているのです。
帝は、最後の神の子として、予言で否定される側の道を進むことを決意します。

一方、強いことが正しいことであると信じて疑わないラウルは、
相変わらず力でチャグムを屈服させようとしますが、
思いのほか早く風と水がやってきます。

混乱の中での小競合いから、カームの投げる短槍で自らの縄を切ってしまうバルサ。
その「強さ」に、思わずラウルは惚れ惚れとした顔になります。
逆に、バルサに槍を突き付けられた時、自分より強いものがいたという事実に、
ラウルはいきなり観念してしまったようになります。

そこへ、タルシュから反乱の知らせが来ます。
セナが文書を高く掲げるのは、高い地位の者から発せられたことを示します。
それを読むヒュウゴが2階に上るのも、高い地位の者からの言葉を伝えるためです。
このあたりの演出が実に上手い。

逆ギレしたラウルはバルサに挑みますが、噴き出してきた泥水に足をとられます。
「負けたから死ぬ? ふざけるな。」
バルサの言葉がラウルに重くのしかかります。
そして、さらに思いもよらぬヒュウゴの言葉に、あのラウルが泣きました。

トロガイの魂は、「とてもきれいな女の顔」で見える人たちに語りかけたようです。
このための高島礼子だったのかと、妙に納得しました。
トロガイのメッセージを伝えなきゃと必死なアスラは、ついに言葉を取り戻します。
「ポカリ、飲まなきゃ」(違います)

そして、帝と二の后の別れ。
「私は、私のものですらなかった」「温もりを感じる時だけ、人だったのかもしない」
人として帝に接する二の后に、帝はあくまで神の側にいることを主張します。
押し寄せる水に帝はホンモノの神となり、チャグムと和解します。

帝(とモン)以外は、トゥグムまで(ガカイも?)助けるあたりは、
王道のハッピーエンドなのでしょう。

最後の場面で、バルサはタンダと静かに暮らしています。
どうやら、チャグムがシュガやジンと創った新しい国は、
バルサの助けを必要としていないようです。

余談ですが、人々の逃避行を見ていて、佐藤史生の「夢見る惑星」を思い出しました
1980年~84年なので発表のSFマンガで今や知る人ぞ知る作品かもしれませんが、
神官だけが見えるとされる「幻視」や神殿にのみ伝わる「科学」、
神殿が予知した大地震と王国まるごとの避難といったあたりは、
新ヨゴ国の設定とも相通ずるものがあるように感じました。
大変入手しにくいと思われますが、興味を持たれた方はご一読を。
 

昨日の「精霊の守り人」

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2018年 1月21日(日)17時47分11秒
  チャグム率いるカンバル軍とロタ軍の登場に、戦況は一変します。
強大な弓で発射された銛のようなものが次々とタルシュの移動砦を引き倒します。
あの重さの物が、弓とはいえ人力で飛ばせるのか疑問もありますが、
この際、気にしないことにします。

チャグムは自ら先頭に立ち、タルシュ軍の背後をつきます。
総大将のチャグムが戦死したら元も子もないじゃないかとも思ったのですが、
自ら軍を率い、自ら敵兵を殺したことが、実は大事な伏線でした。

凱旋したチャグムは、まだ返り血さえ拭わないまま戦勝報告をしますが、
帝は、チャグムのことを戦ったがゆえに「穢れている」と言い捨てます。
しかし、その穢れを認めたチャグムは「帝の魂に救いを求めて、みな戦っておりました」
「穢れに目を向け、長い年月をかけても父上が民をお救いくださいませ」と反駁します。
実は、それを実践したのが、戦後、全国を巡られた「あの方」なのかもしれません。

さらに、確認するかのように、帝はチャグムに「お前は、人か」と問いますが、
それが、帝自身に対する問いかけでもあることは言うまでもありません。
「私は、人です」と自信満々に言い切るチャグムが、ますます帝を苦悩させます。

かくして、帝はチャグムを投獄します。
罪状など、無理に作りあげた言いがかりでしかありません。
清らかな神であることだけで生きてきた帝は、
穢れた人であることを自認するチャグムを王子として認めることができないのです。

同盟がなけれけば国が滅んでしまうと詰め寄られると、
降伏すると魂が穢れる、死しても魂が清らかなれば国は滅びぬとまで言ってしまいます。
なかば、うわごとのように追い詰められた極論を言ってのける藤原竜也が見事です。

思わず、帝の乱心と見て取った聖導師は暗殺を試み、返り討ちに会います。
それが、帝を裏切った聖導師の償いであり、製造物責任であり、愛であるかのように。

ああ良いものを見せてもらったと思っていたら、
バルサとタンダのキスシーンがあったり、ラウルがヒュウゴに詰め寄ったり、
バルサとタンダが人質になったり、ジンがチャグムを助け出したり、
とにかく忙しく終わっていきました。

ナユグの春も謎のままだし、次回、どう終わるのでしょう。
 

先週の「精霊の守り人」

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2018年 1月17日(水)19時40分28秒
  今回は、戦時下の新ヨゴ国の姿を丹念に描きます。

自分たちの国の軍隊に家を焼かれてしまった四路街の人々の生活は、
さながら難民キャンプのようです。
つらい生活だけれど、人々の明るさだけが救いです。

虫の息のタンダを連れ帰ったコチャの郷里のオッカ村にも、タルシュ軍はやってきます。
おびえる村人に、兵は「殺しに来たのではない、豊かにするために来た」といいますが、
どんなに善意であっても、植民地化がその国の文化を破壊してしまうことは、
パンを大好きになった私たち自身が一番知っています。

王宮では、帝が籠って戦勝を願う祝詞をあげ続けます。
水だけしか口にしないとなれば、聖導師が毒をもらなくとも衰弱するのは明らかで、
祈願が成就するか死かという、帝にとっては生命を賭した儀式です。

一度は「穢れた」と言い渡した二の后を、帝が儀式の場に置くのは矛盾していますが、
それほどまでに、帝は二の后に救いを求めようとしていたのであり、
逆に、この儀式の聖性を、もしくは自分自身の聖性をも、
帝自身はまったく信用していないことの表れでもあるようにも思えます。

さて、バルサは、偶然、オッカ村近郊でタンダと再会します。
その際の小競り合いで、アスラが飛び出した時、バルサは顔色を変えましたが、
アスラに二度と力を使わせまいという配慮があったのではないか、と感じました。
むろん、自らタンダの足を斬るのも、バルサの愛の強さゆえです。

そして、ついに現れたチャグム率いる同盟軍ですが、
むしろ、それらすべてを覆い尽くしかねない「ナユグの春」が気になるところです。
 

第1シーズンは、ちゃんと見てませんでした

 投稿者:ひつじ@ひつじ亭  投稿日:2018年 1月13日(土)11時01分14秒
  >シュガは、第1シーズンでトロガイとの通信ができるほどになっていたと思いますが

第1シーズンは、途中からなんとなく見始めたのでよく覚えてません。
シュガについては、地下の図書館で調べ物をしていた印象がありますが、
通信のあたりはよく覚えてません。

>終盤も人の世の話として終結するのか、ナユグがまたかかわるのか、

大軍事帝国との戦いに挑むのだから、それなりに聖なる世界がかかわってくると思います。
羊飼いのトトが予言し、チャグムにも見えた「水に沈む」イメージも気になります。
少なくとも、カンバル・ロタの同盟軍が救援に来て、「軍事的勝利」で解決というのでは、
「精霊の守り人」的な解決ではないだろうとも。

>こうした役どころは、アンダーグラウンドな小劇場の役者がやるものじゃないか

こうした役が小劇場出身の役者に宛てられがちなのは、
圧倒的な演技力が求められる割に、見栄えがしない役だからでしょう。
それほどまでに高島礼子の演技力には定評があり、
本人もオファーを意気に感じてトロガイ役を演ずる演技者魂を持っていたということなのでしょう。

>新ヨゴ国

フィクションもしくはファンタジーとしての「精霊の守り人」を成立させるには、
特定の国が明らかなモデルとなっていたは、いろいろ差し障るであるでしょう。
とはいえ、新ヨゴ国があまりに戦前の日本に似ているのはかえって心配になります。
原作によるのか、ドラマでの脚色なのかはわかりませんが。

>受け手側もそうなのでしょうか?

自らフェイクニュースを流しながら、反証しているメディアをフェイクニュースと非難する人たちの支援を受けて、
民主的な方法でアメリカ大統領が誕生しました。
実は、日本におけるネット右翼はごく少数だけれど、発信量が多すぎて多数意見のように見えてしまう、という見方もありますが、

>けばけばしくてラスプーチン風味です。

「二枚目」が邪魔をしてしまう側面もあるのかもしれません。
むろん、「料理の鉄人」の「主宰」役ように、
あの嘘くさいバブリーな設定を濃い二枚目ぶりで成立させた実績もあるわけですが。

>演劇の「プルートー」で、ゲジヒト(ドイツのロボット刑事・アトムよりも主人公みたい)の奥さんと、ウランの二役

うわあ、鍛えられてますね。
すぐに、単なるアイドル女優と思っていては失礼にあたる存在になるかもしれません。
 

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