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紀氏神社

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 6月13日(火)11時38分36秒
返信・引用
  平群坐紀氏神社に参詣しました。●http://www.yasaka.org/kamigami/hegurimas.html
10年ほど前にも参拝しようと訪れたのですが、鎮座地がどうしても分からなかったのです。
今回も、ナビで神社名検索しても出て来ないし、地名で検索してもよく分からなかったのですが、
何人かの地元と思える人に尋ねて、やっと見つけました。
(上)の写真は、境内地から西北方向に見える生駒山/112㎜望遠撮影
(中)の写真は、境内に隣接する上庄ホタルの里公園に立つ「平群ホタルッチの会」幟
(下)の写真は、境内生垣外側に植えられているアジサイ
 

6月の吉野山

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 6月11日(日)21時50分43秒
返信・引用
  花見のシーズンが2か月も過ぎた吉野山に行きました。

写真(上)は、休日だというのに閑散とした近鉄吉野駅
写真(中)は、塔尾山椿花院(とうのうざんちんかいん)如意輪寺、後醍醐天皇御霊殿
写真(下)は、如意輪寺の宝物で重文の「金剛蔵王権現立像」現物は運慶の高弟源慶作の重文。
撮影が禁止されているのでこの写真は境内に展示中の看板を写したものである
 

金峰神社

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 5月 9日(火)18時43分16秒
返信・引用
  金峰神社と言っても吉野の名神大社「金峯神社」ではなく、建水分神社境内の末社のことです。

15年前に参詣したときには気付きませんでした。
建水分神社:http://www.yasaka.org/kamigami/futami_002.htm
それが、この連休に参拝した時に見つけました。
以前はなかったように思うのですがどうなのでしょう。
でも同じ赤坂村、高塚山の山頂に「金峰神社」があったのです。
おごそかで、とても雰囲気の良い神社でした。
祭神はマガリノオヒネという神様のようです。
よろしければ下記の頁をご覧ください。
●高塚山・金峰神社:
  http://www.yasaka.org/kamigami/kimp.html
 

背割提のソメイヨシノ③

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 4月13日(木)16時20分35秒
返信・引用
  京都府八幡市、背割提のソメイヨシノ・ザクラの続きです。
どうぞクリック拡大して、ネット花見をご堪能ください。

当日は、多くのアジア系の観光客の人たちを見かけました。
中には新婚さんと思しき人たちもいます。
日本のサクラを背景にウエディング衣装で記念撮影をしているカップルも見ました。
 

背割提のソメイヨシノ②

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 4月13日(木)16時03分36秒
返信・引用
  昨日見に行った背割提サクラの続きです。
ここのサクラは「見事」とは聞いていたのですが、まだ花見に行ったことはなかったのです。

「背割提」というのは、宇治川と木津川の合流部に築かれた堤防です。
現在の堤防は、1917年の大洪水の後に改修されたものだそうで、1970年までは松が植えられていたそうです。
ところが虫害のため枯れ始めたので、その後はその殆んどを桜(ソメイヨシノ)に植え替えられたのだそうです。
現在その時植えられたソメイヨシノは大きく立派に育ち、今は大木に育っています。
見た感じは百年も経てるかのような老木にも見えますが、植えられた経過からみると、樹齢はまだ50年位だと考えられるのですが、どうなのでしょう。
(ソメイヨシノはあまりにも激しく咲き乱れるので寿命が短いのかも知れませんね)
 

背割提のソメイヨシノ①

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 4月13日(木)15時26分34秒
返信・引用
  4月12日、京都府八幡市の背割提に行ってきました。
噂通りここのサクラは圧巻でした。もう見事という他ありません。
私が今までに見たサクラの中では、その迫力という点で第一と思われました。
写真では、その迫力は中々お伝え出来かねると思います。
それで、せめて出来るるだけ多くのカット数を掲出したいと思います。
 

南河内の枝垂桜

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 4月 5日(水)15時47分23秒
返信・引用
  大阪南部、河南町の式内壹須何神社に参拝しました。
写真は、その拝殿前の枝垂桜です。
 

狭山池のサクラ満開

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 4月 4日(火)21時15分6秒
返信・引用
  大阪狭山市の狭山池公園へ花見に行ってきました。
狭山池の周遊路に植樹されているサクラは、コシノヒガンとソメイヨシノだそうです。
コシノヒガンの方が、開花は少し早いようで、本日ほとんど満開といったところでした。
写真は、上:その花見客の様子、中:狭山池博物館、下:さやりん

◎さやりんとは、大阪狭山市のマスコットキャラクター。
やさかは、女の子と思っていたのですが、性別は不明とのこと。
お父さんは、狭山池の龍神さまで、
お母さんは、狭山池の桜の妖精だそうです。
 

南大阪のサクラ開花

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 4月 3日(月)18時43分41秒
返信・引用
  大阪南部のソメイヨシノが開花を始めました。
写真は、河内長野市の住宅地の公園で本日見つけたソメイヨシノですが、
数日で満開になりそうです。
 

祈りとは……

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 3月23日(木)21時05分59秒
返信・引用
  写真は、ミレーの晩鐘です
私は昔、この絵を見たとき次の歌を書き付けました
――――――――――――――――――――――――
祈りとは
今日一日を感謝し
今日の一日を反省して
明日への希望を誓うことです
―――――――――――――――――――――
祈りとは:ホームページ「やさか工房」
http://www.yasaka.org/KOBO/inori_001.htm


その時から、私は神仏に願い事をしないことにしています。
つまり、願いは自分のこの先の目標として、自分自身に誓うことにしたのです。
 

3月の神社史研究会・例会

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 3月18日(土)20時20分43秒
返信・引用
  第二十五回・神社史研究会は、3月17日(金)午前9時、熱田神宮会館で白山皇學館大学教授の「熱田神宮とその神事}と題する記念講演から始まりました。
10時からは同教授のお計らいで、熱田神宮の祈念祭に参列させていただくことが叶いました。
当日は天候良く朝の寒気が身に凍みましたが、それがまた神事に相応しく思われて、厳かな神事を目の当りに出来た喜びの中、あらためて心願の成就を誓いました。

写真は、祈念祭斎行のち退出する神職の方々。三枚目の写真は別宮・八剣宮
 

越前・加賀

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 2月27日(月)22時43分43秒
返信・引用
  25~26日、越前・加賀に行きました。

写真は雪の永平寺境内です。
雪国は屋根瓦の傷みが早いそうです。
瓦修復のため、ささやかな協力をさせていただきました。
 

すみよし反橋能

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 2月 7日(火)08時24分2秒
返信・引用
  昨日6日の「住吉大社セミナー」は、「すみよし反橋能」との共催でした。
写真はその会場、吉祥殿での風景です。
曲目は「翁」と「高砂」でしたが、公演の妨げになってはいけない思い、撮影は控えました。


●住吉みくじ 第十六番 大吉

 言はずとも思ひは空に知りぬらむ あまくだります住吉の神
                        (藤原実守)

 

プラダを着た悪魔

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 2月 6日(月)09時51分18秒
返信・引用
  「プラダを着た悪魔」も何度も見たくなる映画です。
ビデオに撮っていて昨夜も見ました。
小説を映画化したようですが、ストーリーがとても良く、配役もそれぞれ個性的でとても魅力があります。
作中の人物アンドレア、ミランダ、エミリーが特に良く演じられています。
ミランダ役のメリル・ストリーブ、アンドレア役のアン・ハサウエイはオスカー女優なので演技が一流なのは当然ですが、
脇役陣もそれぞれが役どころを見事にこなしていて、とても魅力的でした。
画面も、ため息のでそうなほど美しいシーンが次々と展開していきます。
 

紅の豚

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 2月 3日(金)22時16分27秒
返信・引用
  「ポルコ大好きッ」とフィオやジーナも言った豚さんは、
本当に恰好いい!男の中の男ですネ。

紅の豚、また見てしまいました。
何度も見たくなるので、今はビデオに録画してあります。
宮崎駿のダンディズム…やっぱりこの人も天才でしょうね。
 

カメラ大好き

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 1月29日(日)14時52分32秒
返信・引用
  ホームページをする?にあたって、最もよく使うカメラはデジカメです。
何種類かのデジカメを使いましたが、今私が最も気に入って使っているのは下の写真の「FJIFILM X10」です。
このデジカメは、一眼レフのようにファインダーが明るくて見やすく、機械式カメラのような質感で手になじみます。申し分のない性能で解像力も秀逸です。オートを解除してマニュアルで思いのままの撮影も可能です。(この撮影は、Nikon COOLPIX510でしました)

●「カメラ大好き」のページを新掲出しましので、よろしければご覧ください。
http://www.yasaka.org/pastime/camerafan.html


 

正月の風物詩

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 1月 4日(水)12時34分10秒
返信・引用
  写真は、狭山池の周遊道路から揚げられていた「連凧」です。
まるで「上り竜」のようにぐんぐん昇って行くのですが、あげている中年のオジサンに聞くと
「120連持って来てるけど、風が良くないので今日は60連位しか揚げられへんやろ」との事でした。
日本最古のため池とされる「狭山池」ですが、周辺は美しく整備され「狭山池博物館」もあり、
一周2850mの周遊路は、近隣の人々にジョギングや散歩のコースとして親しまれています。
寒さ益々厳しい今日この頃ですが、見事な桜が咲き競う春が待ち望まれます。
(撮影はケータイのカメラ)
 

謹賀新年

 投稿者:やさか  投稿日:2017年 1月 3日(火)14時03分12秒
返信・引用
  毎年正月三箇日には、
地元の鎮守さん、故郷の産土さん、大阪の住吉っさんに初詣にお参りしています。
でも今年は都合で、地元の鎮守さんだけにしました。
その住吉神社のおみくじです。

「御神籤 第九番/小吉」
苦しかる日の過ぎゆきて 大神の恵みの光 今ぞ仰がむ

裏面の「神の教」には、
影が鏡か、かがみがかげか、拝む心が、神ごころ
……と記されていました。
 

ごあいさつ

 投稿者:やさか  投稿日:2016年12月 8日(木)00時07分22秒
返信・引用
  HP“吉野へようこそ”を開設して丸16年が過ぎました。
「やさか掲示板」も本日12月8日で15周年を迎えました。
当時のことを思い浮かべて第一回目の書き込みを再掲出させていただきます。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[1] どうぞよろしくお願いします  投稿者:マルヤ 投稿日:2001/12/08(Sat) 22:54
----------------------------------------------------------------------
管理人のマルヤです。
昨年11月に「吉野へようこそ」HPを開設して以来、丸一年が過ぎました。
この辺で掲示板を出したいと思います。よろしくお願いします。
さてこの「やさか掲示板」はWeb上のヴァーチャル・キングダム”ヤマト”に立てられた掲示板です。
入出国は自由ですので、ワイワイ、がやがや、やってもらえればうれしいです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

●ネットの世界は何も知らず、手探り状態ではじめたホームページでしたが、お蔭様でもう16年も続けさせていただけました。
これは偏にHPや掲示板に訪れてくださった方々のご意見や、寄せていただいた有り難いアドバイスのお蔭です。改めてお礼申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
これからもできるだけ長く続けて行きたいと考えています。
どうかよろしくお願いいたします。
――――初めは管理人名をマルヤとしていましたが、現在は「やさか」と改めています――――
 

皇女和宮

 投稿者:やさか  投稿日:2016年12月 5日(月)15時23分42秒
返信・引用
  国民学校国語教科書『初等科國語八』に、次の内容を見つけました。(以下教科書まま。※印は筆者)
十四 靜寛院宮※
鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の一戰に、德川慶喜(よしのぶ)は、はしなくも朝敵といふ汚名をかうむつた。
 すでに大政を奉還したかれに、逆心などあるべきではないが、しかし何事も時勢であつた。朝臣のうちには、あくまで德川を討たなければ、武家政治を土臺からくつがへして、新日本を打ち立てることができないとする硬論がある。
(中略)
 慶喜は、事のすこぶる重大なのを知つて、大阪から海路江戸へ歸つた。
 かれは、靜寛院宮に事の次第を申しあげて、切に天朝へおわびのお取り成しを願ひ、身は寛永寺の一院に閉ぢこもつて、ひたすらに謹愼の意を表した。
(中略)
 宮の御文(嘆願書)は、實に言々血涙の御文章であつた。
「何とぞ私への御憐愍(ごれんびん)と思し召され、汚名をすすぎ、家名相立ち
 候やう、私身命に代へ願ひあげまゐらせ候。是非是非官軍さし向けられ、
 御取りつぶしに相成り候はば、私事も、當家滅亡を見つつ長らへ居り候も
 殘念に候まま、きつと覺悟致し候所存に候。私一命は惜しみ申さず候へど
 も、朝敵とともに身命を捨て候事は、朝廷へ恐れ入り候事と、誠に心痛致
 し居り候。心中御憐察あらせられ、願ひの通り、家名のところ御憐愍あら
 せられ候はば、私は申すまでもなく、一門家僕(かぼく)の者ども、深く朝
 恩を仰ぎ候事と存じまゐらせ候。」
 德川を討たねば止まぬの硬論を持する朝臣たちも、この御文を拜見してひとしく泣いた。
 德川に對する朝議は、この時から一變した。それは全く義を立て、理を盡くし、情を述べて殘るところあらせられぬ宮の御文の力であつた。
(後略)
 朝敵の汚名はすすがれ、德川の家名は斷絶を免れた。舊臣たちは、ほつと安堵(あんど)の胸をなでおろした。
 江戸城は、官軍方の西郷隆盛(さいがうたかもり)、德川方の勝安芳(かつやすよし)のわづか二回の會見で、しかも談笑のちに開城の約が成立した。
 江戸市民は、兵火を免れた。さうして、幸ひはただそれだけではなかつた。當時、歐米(おうべい)の強國は、ひそかにわが國をうかがつてゐたのである。現にフランスは德川方を應援し、イギリスは、薩長(さつちやう)を通じて官軍に好意を見せようとしてゐた。もし、日本が官軍と朝敵とに分れて、長く戰ふやうにでもなつたら、そのすきに乘じて、かれらは何をしたかもわからない。思へば、まことに危いことであつた。

※靜寛院宮(せいかんいんのみや):孝明天皇の御妹で将軍家茂に降嫁した皇女和宮(かずのみや)内親王のこと
 

幕末の有栖川宮家

 投稿者:やさか  投稿日:2016年11月30日(水)00時15分4秒
返信・引用
  天保四年(1833)、波宝神社が正式に有栖川宮家の祈願所なって以来、その関係は7代韶仁親王に始まり、
8代幟仁親王、9代熾仁親王と、明治2年の行政官布告による祈願所廃止まで続けられました。
その間に日本は幕末の重大な変革期を迎えていたのです。

鎖国と攘夷の実行論者だった孝明天皇は、幕府との関係が険悪になってきたこともあって、
その修復の意味を含む公武合体の案を受け入れて、妹の和宮を徳川家に降嫁させることに同意せざるを得なかったようです。
でも皇女和宮には有栖川宮熾仁親王という婚約相手がいました。
それでも孝明天皇は苦渋の決断をして、国民のため、国内平和のため、皇女和宮を将軍家茂の正室として降嫁させたのでした。
ところが……

1866年6月、将軍家茂20歳で急逝。
1866年12月、孝明天皇35歳で急逝。
1867年7月、睦仁親王(孝明天皇皇子/本来の明治天皇)急逝。
1867年10月、大政奉還……と、日本は時代の大きな荒波に飲み込まれて行きます。

こうした事件の黒幕には、伊藤博文、岩倉具視の暗躍があったと思われます。
また、西欧列強の狡猾な植民地化政策の背景が大きな影を落としていたのでしょう。
 

波宝神社と有栖川宮家

 投稿者:やさか  投稿日:2016年11月29日(火)15時49分21秒
返信・引用
  銀峯山・波宝神社は有栖川宮家の祈願所になっていました。
それは7代韶仁親王が文政13年(1830)3月29日の初参詣から始まっています。
(以下は西吉野の郷土史家、故辻本武彦氏の覚書より)
-------------------------------------------------------------------

波宝神社に宮様が初めて御参拝なされたのは、文政十三年(1830)のことで、
下市町善城の瀧上寺「瀧上誌」に、文政十三年の項に「三月廿九日京都有栖川宮様白銀宮へ御参詣相成る」の記録がある。
この時の宮様は第七代韶仁親王で四十六歳、御子さまの幟仁親王は十八歳であり、御一家で参拝された。
このときの御一行の人数や御寄付のことは分からないが、その後この年の冬、中宮寺宮(妹君の尊照栄暉尼王)から神輿が寄附された。
天保四年(1833)になって、波宝神社は正式に有栖川宮家の祈願所となり、幕・翠簾・提灯の寄附をうけている。
ほかにも宮様方からの胎内仏等の寄附を受けた記録がある。
また嘉永七年(1854)には有栖川幟仁親王より本堂(今は貴賓殿とよんでいる)の寄附があった。
天保四年(1833)巳年八月の波宝神社神宮寺僧、義仙(※)の記録では、
次の御方々の、御繁栄御長久御祈祷の御名がある。
有栖川宮御方 (有栖川韶仁親王)
實枝宮御方  (同妃、後の妙勝定院)
上総宮御方  (どなたかは不明)
西丸御簾中御方
水戸御簾中御方
御連枝宮々御方
【以上は西吉野村郷土史研究家 辻本武彦氏資料の一部より】

不思議なのは、何故このような山奥の山頂の神社を、筆頭皇族の有栖川宮家が「祈願所」にされたかです。
当時、有栖川宮韶仁親王は神祇事務総督、神道総裁でもありました。
神社を統べる地位にある御方が、全国にあまたある神社の中から、何故「波宝神社」を祈願所に定めたのでしょう。
このことは波宝神社神宮寺僧、義仙が知っていたと思えます。
義仙は京都にも名を知られた人物だったようですが、出自・素性はよく分かっていません。
有栖川宮家の文書には残されていた(有栖川宮家廃絶後は高松宮家に残されている?)
とも思えるのですが、今は知るよしもありません。
ちなみに韶仁親王の御孫の熾仁親王は、戊辰戦争征討大総督、陸軍大臣で婚約者は有名な悲劇の皇女・和宮さまでした。
また天保九(戊)年(1838)正月付けの、波宝神社神社神宮寺義仙(※)と署名のある文書には、
(以下再び辻本氏の覚書より)
有栖川宮御方
實枝宮御方
上総宮御方
精宮御方
歓宮御方
豫宮御方
染宮御方
諸宮御方
の御名があり、この時もにも参詣があったようである。また他に「御撫物」の記録もある。
「御撫物」とは宮家より御預し護持する品で、絹糸一かせを白紙に包み、水引を掛け白木の三宝にのせ、
それを御紋のついた四重の箱に入れ移送のための高札や道具がついている。
御撫物は一年間祈願して正月に宮家へ届け、新しい御物を預かって帰るという繰り返しである。
慶應四年(1868)神仏分離令が総督府から発せられ、その後(有栖川総記によると)明治二年(1869)二月、
行政官布告により菊章の器物をその祈願所に寄附することを差止め、
かつ新たに祈願所を設けることを禁ぜしより、当宮の祈願所、祈祷所も廃絶せりと記している。
--------------------------------------------------------------------------------------------------

それでは有栖川宮家御一行は、どのような道を通って波宝神社に参詣されていたのでしょう。
[引き続き辻本武彦氏の資料より以下に引用]

●下市から(県道下市十日市線を通り、黄金岳『栃原岳』の中腹、大鳥居前)波比売神社の社頭を通り、
平原の龍王の辻から、熊野神社の前を通り烏尾の坂をのぼり、波宝神社に到着されたのであろう。
この道は古代からの聖なる道であり、波宝神社への正式な参道であった。
有栖川宮は初めての参詣にあたり、この道を選んだのであろう。
瀧上寺の記録に残ることは、下市のしかるべき寺で休憩なり宿泊されたためと考えられる。
またこの方面の僧は神社までお供したのかもしれない……。

(※義仙)
義仙とは祐心義仙のことで、波宝神社神宮寺僧。文政6年(1823)頃、20歳位で入山。嘉永1年(1848)没。
 

銀峯山の空海像

 投稿者:やさか  投稿日:2016年11月28日(月)23時26分33秒
返信・引用
  吉野三山・銀岳に空海像が鎮座しています。
それは式内波宝神社の下方にある小祠に祭られている石作りのお地蔵さんのような像です。
でもよく見ると、これは紛れもなく空海さんの座像だと思われます。
誰かがお地蔵さんだと思い「よだれかけ」を付けたようで、そのままになっているのです。

この小祠の横の崩れた石垣の辺りには、2.3の墓石らしきものが残っていて、そこから真上に古い参道が続いていた様子が窺えます。
墓標と思しき石柱に刻まれた文字の、読める部分を何とか判読すると
「大阿闍梨□□義仙」と読めました。
おそらく「大阿闍梨祐心義仙」と刻まれていた墓石ではないかと思います。
雑草や雑木に埋もれた古い参道は、昔は真上の波宝神社神宮寺に続いていたように見えます。

この祐心義仙という社僧は謎の多い人物で、有栖川宮家を当社に結びつけたのもこの僧ではなかったかと思われます。
口碑では、さる高貴なお方の御子であった伝わっております。
 

紅葉の名所 大威徳寺2

 投稿者:やさか  投稿日:2016年11月21日(月)21時58分33秒
返信・引用
  牛滝山の山岳寺院、大威徳寺は牛滝寺とも呼ばれ、紅葉の名所として今大阪南部では最も人気のある所のようです。

2年前「いよやかの里」に行った時、たまたま立ち寄って、その鮮やかな紅葉に驚いたのが初めでした。
それは、それまで見たこともない目の覚めるような見事な紅・赤・黄色に染め上げられたカエデ・モミジ、イチョウでした。
その秋化粧の鮮やかさに、目も眩むようでした。
その時カメラを持ってなかったのが残念でなりませんでした。

それで昨年、同様の時期を見計らって、カメラ持参で訪れたのですが、見頃が過ぎていたようで期待したほどではありませんでした。もちろん期待したような写真は撮れませんでした。

それで今年こそはと、現地情報をネットで入念に調べて使い慣れたカメラを持って行ったのです。
厳密に言うと今年も少し(4・5日位か?)遅かったようです。
でも行ってよかったと思える美しさでした。
(多宝塔は国の重要文化財だそうです)
 

紅葉の名所 大威徳寺1

 投稿者:やさか  投稿日:2016年11月21日(月)20時50分9秒
返信・引用
  岸和田市大沢町の天台宗の名刹、大威徳寺の紅葉を見に行ってきました。  

吉野山(蔵王堂、桜本坊)

 投稿者:やさか  投稿日:2016年11月14日(月)11時06分8秒
返信・引用
  昨日の日曜日、「八千枚大護摩供修法」が催されている金峰山寺・蔵王堂と、
「天武天皇ご神像特別ご開帳」がなされている桜本坊に参拝してきました。
秋の紅葉の最盛期はもう過ぎていましたが、この日の吉野山は大勢の行楽客でにぎわっていました。
写真は、工事中でもある蔵王堂と桜本坊、そして下千本大駐車場の人気者「にゃん丸」です。
駐車場は、午前11時には既に満車状態でした。
にゃん丸クンは、まだ若いキジ虎の男の子ですが、かなり甘えん坊のようです。
この日も駐車場売店の小父さんに、店番の定位置に連れて来てもらって愛想ふりまいていましたが、お店の小母さんによりますと、夕方になると早く家に帰りたがるそうで、娘さんが迎えに来るとべったり胸に張り付いて離れないないそうです。
このにゃん丸くんに会うのは今年二回目でした。

●この掲示板の今年5月17日付けでも載せています。
 

戸隠神社

 投稿者:やさか  投稿日:2016年11月 6日(日)18時01分11秒
返信・引用
  先週末は吉野へ行こうと思っていたのですが、後から入った予定の戸隠神社の方にしました。

長野県戸隠山の麓に鎮座する奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社は、
平安時代の神仏混淆時代から、明治の初め、神仏分離令までは戸隠山「顕光寺」として修験道の霊場であったそうです。
現主祭神は、天手力雄で、神紋は鎌卍が使用されています。
神域は広大で、特筆すべきは江戸時代に整備されたといわれる杉並木です。
その神の坐す杜は、神気に満ちあふれており感動させられました。
後日編集して「神々の坐す杜」に掲出したいと思います。

●写真は、平成10年長野冬季オリンピック村の跡地で営業中のプチホテルと、競技に使われたスキー場、そして戸隠神社奥社の杉並木参道
 

京都競馬場

 投稿者:やさか  投稿日:2016年10月22日(土)20時40分6秒
返信・引用
  「菊花賞」を明日に控えた今日の土曜日、京阪淀駅前の京都競馬場に行ってきました。
今年の三歳馬にとっては、クラシック楯取りのラストチャンスとなります。
秋競馬のハイライトとも言える伝統の大レースなので、明日日曜は大混雑が予想されます。
それで明日の菊花賞はテレビ観戦にして本日は秋競馬の雰囲気を楽しもうと出掛けました。どうしてもビールが飲みたくなるので、勿論電車利用です。
京都競馬場も阪神競馬場と同様に、想像していたような混雑はありませんでした。

さて明日のGIレース菊花賞ですが、今年は第77回になるそうです。
一応予想をしておきたいと思います。
(え?まさか枠連で7-7のゾロ目!)エッ…、それはないでしょう。
今年の菊は、上位二頭の実力が抜き出ていて、他馬に付け入る隙はないように思います。
もし、一画崩しがあるとすれば、⑬エアスピネルだと思います。
◎本命:ディーマジェスティ
○対抗:サトノダイヤモンド
▲単穴:エアスピネル

それで馬券は、馬連3-6を本線にして、穴買い6-13を少し。
以上二点買いに絞って見て楽しむレースにしましょう。

 

阪神競馬場

 投稿者:やさか  投稿日:2016年 9月12日(月)23時14分47秒
返信・引用
  土曜日に阪急仁川の阪神競馬場に行きました。
競馬場に行くのは、もう20年ぶり位でした。
久しぶりの競馬場は美しく、設備も整っていて快適でした。
でも昔に比べると、第一に入場者がびっくりするほど少なくなっているように思われました。
今は競馬人口(ファン)が減ってきているのでしょうか?
高配当の複雑な馬券が増えたので、相対的に馬券的中者が減って来て、馬券を買って楽しむ人々が減ってきているのではないかと思われます。
馬券そのものも、今はインターネットで購入できるので、場外馬券売り場や競馬場まで足を運ばなくても開催中の競馬の勝ち馬投票券は、パソコンやケータイで居ながらにして簡単に買えるという現実があるからかも知れません。
私も根っからの競馬ファンなので、競馬会の口座を持ちネット投票しているので、随分前から競馬場には行っていなかったのです。
でも久しぶりに競馬場の雰囲気を味わってみたいと思い立ち、電車で仁川まで行ってきました。
久しぶりの競馬場の印象は、びっくりするほど清潔で設備も良く快適そのものでしたが、一方で活気に満ちた独特の雰囲気は失われていました。昔の馬券売り場の窓口は殺気立つほどだったからです。もちろん現在でも春秋の競馬シーズン真っ盛りの重賞レースでは、大いに賑わうことととは思います。
でも昔とは何かが違っているように思えました。
昔からの競馬ファンで、馬券を買い始めて50年にもなりますが、昔ほど勝負に夢中になれません。何か面白くなくなっているのです。
来場客は昔の人々より一見上品に見えますが、席確保の新聞や投票用紙がシートの大部分を塞いで、マナーは昔より悪くなっている部分もあります。
それで座席は十分にあっても座れないことが多いのです。
一方で馬主席や予約席は広々として昔よりはるかに快適そうに見えました。

昔は阪神競馬場も京都競馬場も、場内に厩舎の馬房があったため、ほのかに馬糞の匂いが一面に
漂っていたものでした。
でも全体として競馬場そのものは、美しく快適でした。
特筆すべきは芝生でした。
昔の芝生は枯れたり剥れたりしていましたが、現在の芝生は青々と美しく生え揃って丁寧に手入れされており、正に緑の絨毯を敷き詰めたようでした。

 

天川村洞川温泉

 投稿者:やさか  投稿日:2016年 9月 5日(月)18時59分48秒
返信・引用
  9月4日の日曜日、吉野の洞川温泉に行ってきました。
温泉街を流れる川は「天ノ川」というそうです。
この辺りでは、いたる所で名物「だらにすけ」の看板を見かけます。
以下の写真は昨日撮影したものです。

洞川温泉に来たのは5年ぶりで、その時は洞川八幡神社に参拝しています。
http://www.yasaka.org/yosino/dorogawa.html
 

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