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Re: ご返事ありがとうございます。大変感動しました。

 投稿者:浦野家と血縁  投稿日:2007年 7月22日(日)13時52分45秒
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  > No.76[元記事へ]

浦野与平次さんへのお返事です。

> > 「浦野家と血縁」さん
>
> ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。再びご投稿ありがとうございます。
> また、非常に貴重な情報提供をありがとうございます。
> 畠山家および長家との関係について、かなり詳しく伝えられているようで驚きました。やはり北海道へ渡るときに全てを忘却の彼方にしまってしまった私の一族とは情報量がまるで違うものですね。ご提供いただいた情報はいずれ浦野事件に関連させて当サイトに掲載させて頂きたく思います。
>
> それにしても仁岸氏が浦野事件後に陸奥に移ったとは知りませんでした。事件で加賀藩の処罰を受けなかった関連一族は、やはり事件後はさまざまな地に移ったということなのでしょうね。ちなみに平成16年の全国NTT電話帳で仁岸氏を調べてみると、北海道が圧倒的に多く、青森県には既に数件しかいないようです。
>
> > 浦野事件は、浦野派の権力抗争ですが、浦野派の人々は、単に、
> > 立身出世のためでわなく、常に前田藩の干渉に対抗するための
> > 派閥だときいています。そのため、近前田派の長家家臣団とあ
> > らそっていたのでは、ないでしょうか。いつも主家の安泰のた
> > めに働いていたのは、常に、前田藩の影を気にしながら長家3万
> > 石を守るための集団であったと自分は、思います。
>
> 私も同様に思います。いくつかの文献には常に浦野氏は長家の安泰のために尽力したと書かれていますが、一族全員がただそれだけを目的に血判までしたとは考えにくいです。おそらくは加賀藩の支配が及ぶまでの鹿島半群の財政・経営は浦野一族にとって非常にうまく回っていたのでしょう。勿論、地域の土豪との婚姻関係をうまく利用していたので、藩から見れば疎ましく思える存在であったとは思いますが、このような地域と一体化した状況を守ろうとしていたのだと思います。

時が、変わっても血は、流れるものなんだと感動しました。浦野家の人のような、上司、同僚がいて、先祖は、幸せで、満足な一生を、送ることができたんだと思います。あと、大変失礼なのですが、長家家臣時代の活躍や、役職、石高を、お教え願えないでしょうか。
 
 
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