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Re: ご返事ありがとうございます。

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 7月16日(月)16時22分34秒
返信・引用
  > No.71[元記事へ]

> 「浦野家と血縁」さん

ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。再びご投稿ありがとうございます。
また、非常に貴重な情報提供をありがとうございます。
畠山家および長家との関係について、かなり詳しく伝えられているようで驚きました。やはり北海道へ渡るときに全てを忘却の彼方にしまってしまった私の一族とは情報量がまるで違うものですね。ご提供いただいた情報はいずれ浦野事件に関連させて当サイトに掲載させて頂きたく思います。

それにしても仁岸氏が浦野事件後に陸奥に移ったとは知りませんでした。事件で加賀藩の処罰を受けなかった関連一族は、やはり事件後はさまざまな地に移ったということなのでしょうね。ちなみに平成16年の全国NTT電話帳で仁岸氏を調べてみると、北海道が圧倒的に多く、青森県には既に数件しかいないようです。

> 浦野事件は、浦野派の権力抗争ですが、浦野派の人々は、単に、
> 立身出世のためでわなく、常に前田藩の干渉に対抗するための
> 派閥だときいています。そのため、近前田派の長家家臣団とあ
> らそっていたのでは、ないでしょうか。いつも主家の安泰のた
> めに働いていたのは、常に、前田藩の影を気にしながら長家3万
> 石を守るための集団であったと自分は、思います。

私も同様に思います。いくつかの文献には常に浦野氏は長家の安泰のために尽力したと書かれていますが、一族全員がただそれだけを目的に血判までしたとは考えにくいです。おそらくは加賀藩の支配が及ぶまでの鹿島半群の財政・経営は浦野一族にとって非常にうまく回っていたのでしょう。勿論、地域の土豪との婚姻関係をうまく利用していたので、藩から見れば疎ましく思える存在であったとは思いますが、このような地域と一体化した状況を守ろうとしていたのだと思います。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 
 

リンク変更依頼

 投稿者:七尾古写真アーカイブメール  投稿日:2007年 6月25日(月)19時13分1秒
返信・引用
  お世話になっています。
総合リンクしていただいている「能州の都七尾の歴史」の管理人です。
サイト大幅改編につきサイト名・URLが変更になりましたのでお知らせします。
新サイト名
七尾古写真アーカイブ
新URL
http://nanaoarchive.obunko.com/
です。
お手数ですが、変更をよろしくお願いします。

http://nanaoarchive.obunko.com/

 

系図書き

 投稿者:川崎市幸区の浦野です。  投稿日:2007年 5月31日(木)23時53分53秒
返信・引用
  お返事有難うございます。与平次様、暫くぶりで書き込みいたします。我が家のご先祖様のことですが、祖父、祖母とも他界したので、祖母の末の妹さんに(そのことに対して一番くわしい)江戸時代などに住んでいた正確な場所など聞いてみたいと思います。それから失礼ですが、我が家の系図書きなど、見ていただきたいと思っています。
 幕末などのエピソードがあって(口伝)、その当時のご先祖様の娘さん(私の何代もさかのぼった叔母さんといいましょうか)が領地にいくと、ひいさま、ひいさまと呼ばれて歓迎されたとか、幕府終焉のとき(大名としての徳川家終焉のときか)大金が下げ渡されて、取り巻きが出来て全て遊んで使ってしまったとか、明治になりかつて住んでいた屋敷を引き払って数年たってから床下から小判が出たとか(今と違って見つけた人が全部取ったそうです)それから明治初期にも当時息子だった方が、甲州や信州のほうまで菩提寺をめぐって、調べて、いま家にある物よりもくわしい家系図を作成したらしいのですが、それを自分の年長者(その人の父か祖父だろうとおもわれる)に見せたところ、「こんなものはお金にならない」というように言われて引き裂かれてしまったそうです。(文明開化か廃仏棄却の世だったからでしょうか)というわけで、昔は発注者(小普請奉行?)だったのですが今は発注されるほうでございます・・・w我が家の事だけでもこれだけのことがあるので、歴史というのは本当に面白いものですね。
 

はじめまして

 投稿者:長野県最多の浦野  投稿日:2007年 5月30日(水)21時20分12秒
返信・引用
  長野県でも一番戸数の多い箕輪町の浦野と申します。家紋は丸に立ち沢潟です。
小県の浦野氏だろうとは思いますが、本家には源氏の流れであるという系図があります。
(写しは我が家にもありますが)
 

あと1つわすれていました。

 投稿者:浦野家と血縁  投稿日:2007年 5月18日(金)21時06分53秒
返信・引用
  浦野事件は、浦野派の権力抗争ですが、浦野派の人々は、単に、立身出世のためでわなく、常に前田藩の干渉に対抗するための派閥だときいています。そのため、近前田派の長家家臣団とあらそっていたのでは、ないでしょうか。いつも主家の安泰のために働いていたのは、常に、前田藩の影を気にしながら長家3万石を守るための集団であったと自分は、思います。  

ご返事ありがとうございます。

 投稿者:浦野家と血縁  投稿日:2007年 5月18日(金)19時59分54秒
返信・引用
  お考えのとおり口伝で伝わっています。もともと、能登畠山氏家臣の前から能登凰至郡仁岸川周辺の豪族として栄えていました。平家と、つながりが深く「平家でなければ人でない。」といった、平時忠の娘を、娶っていて平家滅亡後は、しばらくの間時忠一族をかくまっていました。またその後、長家とつながりが深く先祖の智将といわれた、仁岸宗心は、長家の娘を娶り長家と軍事同盟にあり畠山家家臣の謀反「石塚の合戦」の七天川原の戦いで、長家をかばおうと、息子の仁岸右衛門尉と仁岸勢と前に出て奮戦し戦死していますが、息子の右衛門尉がついで、長家家臣としてつずいていきました。その後の仁岸氏の石高、役職なども教えていただければ幸いです。その後の浦野事件の後、陸奥に逃走し、今にいたっています。いろいろな情報ありがとうございました。  

Re: 浦野氏の仁岸です。

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 5月13日(日)23時06分22秒
返信・引用
  > No.67[元記事へ]

> 「浦野家と血縁」さん

はじめまして。ご投稿ありがとうございます。
浦野事件の生き残りの末裔の方からのご投稿は初めてです。
事件から350年近く経過した現代で、このようにお話しできるのは実に不思議ですね。ホームページを開設した甲斐がありました。

加賀藩仁岸氏に関する資料で、取り急ぎ私が知っているのは以下です(石川県の系図文献参照)。

諸士系諸 津田信成著(天保3)20冊

この文献の第2巻に仁岸氏が掲載されています。保存場所は「金沢市立玉川図書館近世史料館」ですので、一度問い合わせてみては如何でしょうか。

もし失礼でなければ、浦野事件についての情報を提供していただければ幸甚です。口伝で浦野事件の仁岸氏であるということを代々御存じなのでしょうか。

当サイトでも浦野事件関係については今後とも充実させていきたいと思っておりますので、何か新しい情報など得られましたら是非ご教示頂ければ幸いです。今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

Re: 初めまして

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 5月13日(日)22時53分5秒
返信・引用
  > No.66[元記事へ]

> 新潟市の浦野様

はじめまして。ご投稿ありがとうございます。
出身が群馬県でご本家が高崎市ということですので、武田家家臣の浦野氏の後裔であると思われます。この辺りは先人達の調査が進んでいるところですので、武田氏家臣時代(戦国期)および大戸浦野氏などを参考までご覧になってみてください。

新潟の浦野家からは当サイトにも何件かお便りをいただいております。天正10年の武田氏滅亡の際に浦野氏は各地に散ったと云われています。その中に信濃川を下って新潟まで来た浦野家があるという口伝もありますので、群馬と新潟の浦野氏は共通のルーツを持っている可能性が高いと思います。

何か新しい情報など得られましたら是非当サイトにもご教示頂ければ幸いです。今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

ゴールデンウィークは楽しみましたか?

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 5月13日(日)00時53分46秒
返信・引用
  皆様、GWはいかがお過ごしでしたでしょうか。
私は出張が入ってしまい、せっかくの休暇が楽しめませんでした(ToT)。
年度末からしばらく多忙な毎日を送っており、ご無沙汰しておりました。

> 長野県の浦野様

貴重な情報提供をありがとうございます。
滋野浦野氏に「丸に蔦」紋の浦野家があったかどうか調べてみます。
確かどこかに以前調べた資料があったと思います。

> 浦埜様

当掲示板への書き込みありがとうございます。
また、大変貴重な情報提供をありがとうございます。

私も全国の浦埜家について、ざっと調べてみましたが、
確かに20数世帯しかない珍しい苗字のようですね。
大阪・奈良に集まっている傾向があるようですが、
長野・群馬にもわずかに存在しています。
詳しくは調査してみないと分かりませんが、このように
浦野氏の分布と当たらずも遠からずの関係にあることから、
もしかすると同流なのかもしれませんね。
分家したときなどに文字を変えることもあったようです。

ちなみに「卜野」という苗字は見たことがありません。
「卜(うら)」は主に「卜部」という苗字に使われているように
思います。

> やはり、一度、過去帳(お寺)とか古文書(自宅にあるものや
> 博物館にあるもの)とかで、きちんと調べた方が良いのかもし
> れませんね

とりあえず、戸籍と過去帳をあたるだけで、かなりのことが分かると思いますので、ご関心があれば是非トライしてみてください。当サイトの先祖調査の基礎知識に詳しい調査方法を掲載しておりますので、こちらも参考にしてみてください。

今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。


> 川崎市幸区の浦野様

はじめまして。
非常に貴重な情報提供をありがとうございました。
文面からお察しするに、調査をすればかなりのことが分かりそうな気がしますね。文京区の浦野氏また当地で「下がり藤」紋の浦野家についても調べてみます。川崎市幸区の浦野様から頂いた情報は当サイト内の各地の浦野さん情報に掲載させていただきますので、何か情報が入りましたらご連絡いたします。

当サイトの先祖調査の基礎知識に詳しい調査方法を掲載しておりますので、こちらも参考にしてみてください。微力ながら小生に協力できるようなことがあるかもしれません。何かありましたら、遠慮なく掲示板に書き込んでください。

今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

浦野氏の仁岸です。

 投稿者:浦野家と血縁  投稿日:2007年 4月27日(金)18時19分38秒
返信・引用
  浦野事件で、いきのびた、浦野氏と血縁関係にあたる仁岸氏の末裔です。仁岸氏についての資料について知っている人は、いませんか。  

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