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Re: ありがとうございます

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2008年 1月12日(土)13時36分15秒
返信・引用
  > No.96[元記事へ]

千葉県の戸村さま

> ところで質問ですが佐竹系以外の戸村というのは存在するのでしょうか?

当サイトに寄せられている限りの情報では、大きく3通りありまして、1つは秋田・仙台系の戸村氏、そして千葉の戸村氏、最後に長崎平戸の戸村氏などです。

秋田・仙台系の戸村氏については、おそらくは佐竹戸村氏と思ってよいでしょう。千葉の戸村氏については、未だよく分からないのですが、「千葉県の戸村さま」のように佐竹系の方の方もいれば、そうでもないという方の情報も頂いております。長崎平戸の戸村氏としては、当掲示板への投稿で知る限り、江戸時代に隠れキリシタンで、長崎五島ではそれほど迫害がないということで移り住んだり、その後、また平戸島に戻ったりしていたと云われています。「平戸」という地名にちなんで戸村と名乗っている可能性の指摘されております。尚、ある千葉の戸村さんからの情報では、この平戸から移り住んだという家もあります。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 
 

ありがとうございます

 投稿者:千葉県の戸村  投稿日:2008年 1月 8日(火)23時18分56秒
返信・引用
   先になりますが、写真類メールで送ります。ところで質問ですが佐竹系以外の戸村というのは存在するのでしょうか?私も浦野様ご研究の通り一系のみと思いますが。  

Re: なぜ千葉に多いか

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2008年 1月 7日(月)20時11分57秒
返信・引用
  > No.94[元記事へ]

> 千葉県の戸村さま

素早いお返事をありがとうございます。

> 私の家では写真だけで明治30年頃までさかのぼれます。
> これは札幌で多く撮られています。

何と!明治時代の家族写真があるなんて素晴らしいですね。
ところで、当HPの趣旨とは若干外れますが、明治30年頃の
札幌の様子なんかも一緒に写ってたりするのでしょうか?
だとしたら是非一度拝見したいものです。

> 家紋や過去帳、屋号そして浦野様の様に調べてみたいと
> 思っています。今でも北海道には親類縁者が多くいます。
> またご連絡します。

私の経験程度でお役に立てるのでしたら喜んで応援いたし
ます。もし掲示板ではちょっとという内容でしたら、
メールもありますので必要に応じてこちらもご利用下さい。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

なぜ千葉に多いか

 投稿者:千葉県の戸村  投稿日:2008年 1月 7日(月)00時07分16秒
返信・引用
   私の家では写真だけで明治30年頃までさかのぼれます。これは札幌で多く撮られています。家紋や過去帳、屋号そして浦野様の様に調べてみたいと思っています。今でも北海道には親類縁者が多くいます。またご連絡します。  

佐竹戸村氏について

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2008年 1月 6日(日)18時45分5秒
返信・引用
  > No.92[元記事へ]

> 千葉県の戸村さま

ところで戸村さまは現在、千葉県にお住まいということですが、千葉の戸村氏には同じように維新後に秋田から移住してきた家が多いのでしょうか。というのも、戸村姓は現在全国で2300件ほどあるのですが、その4割近くが千葉在住なので、どのように佐竹戸村氏と関わっているのか不思議に思っているのです。

話は変わりますが、私の祖母の父(戸村菊十郎)に関する情報を記しておきます。
言い伝えなので、信憑性に欠ける部分もあるかと思いますが・・・、

1.名前は戸村菊十郎、明治42年9月10日没。
2.小樽で病死したが、葬儀後、骨壷は戸村家が持ち帰ったため、墓はどこにあるのか不明。
3.口伝では菊十郎は宮城から小樽に単身で書生として渡っていた。
4.口伝では菊十郎は仙台藩の家老を務めた戸村氏の末裔と云われていた。
5.書生のあと、役場で勤務していたと云われている。

今後とも当サイトをご愛顧のほど宜しくお願い致します。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

佐竹戸村氏の情報をありがとうございます。

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2008年 1月 6日(日)17時57分10秒
返信・引用
  > No.90[元記事へ]

> 千葉県の戸村さま

ご投稿ありがとうございます。
情報が少なく、調査の取っ掛かりを探していたところに大変貴重な情報をありがとうございます!

佐竹戸村氏の本流の一族の方と連絡が取れるなんて思っても見ませんでした。インターネットの力は大きいですね。良い時代になりました。
戸村さまの家では、茨城(佐竹一族)→秋田(徳川支配による移封)→函館(横手城落城)という移住の経緯は資料として残されているのでしょうか。戸籍でも秋田の情報までは詳細に分かるのでしょうね。

私の祖母の父(戸村菊十郎)は、仙台出身ということまでしか分からず、以前、仙台へ行って郷土資料館などを回ったときに入手した資料がたくさんあるのですが、そろそろ整理しないといけませんね。

> 個人的な口伝では、材木輸送の監督(秋田杉)の話、キリシタン
>(記録徴が横手城に現存)の話、諜報活動を主とする武家であった話、
> などよく聞きました。北海道へは横手城落城の一件で新政府軍に
> 嫌気がさして五稜郭へ行ったのだろうと思います。新撰組の土方歳三
> さんの次に墓石に名前の刻まれている戸村静一郎さんはその系統じゃ
> ないでしょうか?

驚きました。やはり一族の方では詳しい情報が伝わっていくものですね。戸村静一郎氏は戸村さまの御祖父または御曾祖父でしょうか。

何か新しい情報など得られましたら是非当サイトにもご教示頂ければ幸いです。今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

新年あけましておめでとうございます。

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2008年 1月 6日(日)17時39分10秒
返信・引用
  > No.87[元記事へ]

皆様、新年あけましておめでとうございます。
年末年始は北海道へ帰省したのですが、今年は雪が多いみたいですね。
今年もどうぞよろしくお願いします。

> 仁岸検非違使中尉さま

お返事が遅れ大変申し訳ございません。
また、仁岸家と長家の関係を非常に詳細に調べられているようで私も大変勉強になりました。同じく長家家臣として仕えてきた浦野一族とも関連の深い内容ですので、やがてHPにも関連ページを作っても面白いかなと思いました。そのときは色々教えてください。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。

> 長野県の浦野さま

またまた詳しい情報をありがとうございます。浦野様から頂きました情報は、各地の浦野さん情報のページに追加して掲載させていただきました。
このページも情報量が増えてきたので、そろそろ地域別に分類しても良いかな・・・。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

はじめまして

 投稿者:千葉県の戸村  投稿日:2007年12月28日(金)19時26分57秒
返信・引用
   はじめてお便りします。私も祖父まで北海道です。凡その流れは佐竹一族と共に茨城から秋田へ行き横手城落城後、函館から札幌、小樽などへ広がったと思っています。個人的な口伝では、材木輸送の監督(秋田杉)の話、キリシタン(記録徴が横手城に現存)の話、諜報活動を主とする武家であった話、などよく聞きました。北海道へは横手城落城の一件で新政府軍に嫌気がさして五稜郭へ行ったのだろうと思います。新撰組の土方歳三さんの次に墓石に名前の刻まれている戸村静一郎さんはその系統じゃないでしょうか?そろそろ私も少し具体的に調べてみます。  

叔母から少し話しが聞けました

 投稿者:長野県の浦野  投稿日:2007年10月15日(月)10時30分46秒
返信・引用
  お久しぶりです。長野県の浦野です。
叔母から少し話しが聞けました。資料にもならなかったらすみません。

浦野磯次の父の代で浦野家は傾いていく。
当時は府中の競馬場のあたりの土地を広く持っていた。
磯次の父(次男らしい)の兄がジョウウマというところでお餅やさんを営んでいた。子供は2人
この兄が離婚したあたりでこのお店も傾いていった。

らしいです・・・
なにかの足しになれば幸いです。
 

名前を、変えさせていただきました。あと、少々詳しくわかりましたので、ご報告いたします。

 投稿者:仁岸検非違使中尉  投稿日:2007年 7月28日(土)19時56分19秒
返信・引用
  「浦野家と血縁」より、改名させていただきました。長家五代当主、長盛連の三男で、先祖の初代仁岸検非違使中尉信氏の官位を、遣わさせていただきました。長家の家臣として長い間つずいてきた理由が、長家の一族であり、朝廷の検非違使のなかでも、上級管理職だった、祖先が、自分の兄の長家本家と、仲が、よかったんだとということがわかり感動しました。しかしながら、その後は、本家は、仁岸一族を、家来のようにしていたのには、残念だと思いました。それは、戦国のならいだとしても、悲しいことだと思います。仁岸一族の、人たちは、よく長家を、守るために、死んでいる人がいますが、最後も長家のために、働き、散っているのは、武士の本懐だとも思いますが、虚しくも、感じられます。前田家家臣のときには、150石で、あまり、いい身分ではなく思います。あくまで、本家のために働いたのに、このような仕打ちも、戦国の、世のならいなんだと、本当に、悲しい時代だと、わかりました。  

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