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狼煙城のページを追加

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 7月28日(土)19時00分13秒
返信・引用
  当サイトの「珠洲・狼煙の歴史」中に「狼煙城」に関するページを追加しました。

狼煙城は、最近になって珠洲市狼煙町の山伏山林間野営場に城跡が発見されました。城主の名前に「河崎與三助」とあり、河崎家(現在は宇多家)は中世名主の系譜を引くとみられ、河崎七兵衛、河崎七郎左衛門を名乗り、先祖の河崎氏が代々畠山氏の家臣でありました。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 
 

Re: こんなに歴史があったのか・・・

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 7月28日(土)18時51分45秒
返信・引用
  > No.83[元記事へ]

> 大阪の戸村さん

はじめまして。
戸村家からのご投稿ありがとうございます(^^)。
平成16年の全国NTT電話帳で徳島県の戸村氏を調べてみると、25件あり、徳島市と海部郡海南町に多いようですね。戸村家にまつわる口伝などありましたら是非当サイトにもご投稿下さい。

今後とも当サイトをご愛顧のほど宜しくお願い致します。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

Re: ご返事ありがとうございます。大変感動しました。

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 7月28日(土)18時43分6秒
返信・引用
  > No.82[元記事へ]

> 浦野家と血縁さん

> 時が、変わっても血は、流れるものなんだと感動しました。
> 浦野家の人のような、上司、同僚がいて、先祖は、幸せで、
> 満足な一生を、送ることができたんだと思います。あと、
> 大変失礼なのですが、長家家臣時代の活躍や、役職、石高を、
> お教え願えないでしょうか。

仁岸家の役職・石高等の情報に関しては、私も調査が及んでおらず、お答えできず申し訳ありません(^^;)。ただ、以前も申し上げましたが、加賀藩仁岸氏に関する資料は「金沢市立玉川図書館近世史料館」に現存します。

諸士系諸 津田信成著(天保3)20冊 (石川県の系図文献参照

この文献の第2巻に仁岸氏が掲載されています。一度電話または電子メール等で問い合わせてみては如何でしょうか。
もし何か分かりましたら是非当サイトにも情報をお寄せいただけますと幸いです。私の方でも調べてみますね(^^)。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

こんなに歴史があったのか・・・

 投稿者:大阪の戸村  投稿日:2007年 7月24日(火)00時50分44秒
返信・引用
  暇つぶしに「戸村」で検索してみると「戸村」の姓にこんな歴史が・・・。
あまり聞かない苗字に薄々「平民出身」かと思い、
徳島県在住の親戚に見せて頂いた家系図にて
曾祖父さんの名前が「熊五郎」なので「平民出身」が確定していたのに
こんな大逆転があると思ってませんでした。
 

Re: ご返事ありがとうございます。大変感動しました。

 投稿者:浦野家と血縁  投稿日:2007年 7月22日(日)13時52分45秒
返信・引用
  > No.76[元記事へ]

浦野与平次さんへのお返事です。

> > 「浦野家と血縁」さん
>
> ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。再びご投稿ありがとうございます。
> また、非常に貴重な情報提供をありがとうございます。
> 畠山家および長家との関係について、かなり詳しく伝えられているようで驚きました。やはり北海道へ渡るときに全てを忘却の彼方にしまってしまった私の一族とは情報量がまるで違うものですね。ご提供いただいた情報はいずれ浦野事件に関連させて当サイトに掲載させて頂きたく思います。
>
> それにしても仁岸氏が浦野事件後に陸奥に移ったとは知りませんでした。事件で加賀藩の処罰を受けなかった関連一族は、やはり事件後はさまざまな地に移ったということなのでしょうね。ちなみに平成16年の全国NTT電話帳で仁岸氏を調べてみると、北海道が圧倒的に多く、青森県には既に数件しかいないようです。
>
> > 浦野事件は、浦野派の権力抗争ですが、浦野派の人々は、単に、
> > 立身出世のためでわなく、常に前田藩の干渉に対抗するための
> > 派閥だときいています。そのため、近前田派の長家家臣団とあ
> > らそっていたのでは、ないでしょうか。いつも主家の安泰のた
> > めに働いていたのは、常に、前田藩の影を気にしながら長家3万
> > 石を守るための集団であったと自分は、思います。
>
> 私も同様に思います。いくつかの文献には常に浦野氏は長家の安泰のために尽力したと書かれていますが、一族全員がただそれだけを目的に血判までしたとは考えにくいです。おそらくは加賀藩の支配が及ぶまでの鹿島半群の財政・経営は浦野一族にとって非常にうまく回っていたのでしょう。勿論、地域の土豪との婚姻関係をうまく利用していたので、藩から見れば疎ましく思える存在であったとは思いますが、このような地域と一体化した状況を守ろうとしていたのだと思います。

時が、変わっても血は、流れるものなんだと感動しました。浦野家の人のような、上司、同僚がいて、先祖は、幸せで、満足な一生を、送ることができたんだと思います。あと、大変失礼なのですが、長家家臣時代の活躍や、役職、石高を、お教え願えないでしょうか。
 

各地の浦野さん情報を更新

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 7月22日(日)12時32分57秒
返信・引用
  当サイトにお寄せいただいた情報を各地の浦野さん情報に掲載致しました。

・熊本県長洲町の浦野様
・東京都新宿区歌舞伎町の浦野様
・群馬県吾妻郡大戸の浦野様
・神奈川県川崎市幸区の浦野様
・長野県上伊那郡箕輪町の浦野様
・長野県諏訪市の浦野様

関連情報をお持ちの方、ご投稿をお待ちしております。
今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

返事ありがとうございます

 投稿者:長野県最多の浦野  投稿日:2007年 7月21日(土)15時10分23秒
返信・引用
  ご想像の通り、義雄家の分家です。我が家の写しは30年前に亡くなった祖父が昭和40年頃に書き写したものらしいです。
以前、親戚の方に「うちの家系はもともと高橋を名乗っていたが、沢の浦野氏に請われて養子に入った」と聞いたことがあります。今はバイパス開通のためありませんが、義雄家の田圃の土手に鳥居があり、それは高橋神社発祥の地の証拠であること(近くに高橋神社発祥の地の石碑あり)その鳥居が壊れたり朽ちたりすると大出の高橋神社の氏子が義雄家に鳥居を新たに建立することを伝えに来たそうです。
 

Re: リンク変更依頼

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 7月21日(土)08時38分1秒
返信・引用
  > No.75[元記事へ]

> 七尾古写真アーカイブ管理人様

サイト拝見いたしました。
古写真は見ながら、その時代の様子を想像するのが大好きなのでとても楽しいですね。
更新お疲れ様でした。
当サイトのリンクページにて、サイト名・URLは変更させていただきます。今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

Re: 系図書き

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 7月21日(土)08時33分31秒
返信・引用
  > No.74[元記事へ]

> 川崎市幸区の浦野様

再びご投稿ありがとうございます。
本業の方が多忙を極め、このようにご無沙汰してしまい申し訳ありません。また、非常に貴重な情報提供をありがとうございます。

> お返事有難うございます。与平次様、暫くぶりで書き込みいたします。
> 我が家のご先祖様のことですが、祖父、祖母とも他界したので、祖母の
> 末の妹さんに(そのことに対して一番くわしい)江戸時代などに住んで
> いた正確な場所など聞いてみたいと思います。それから失礼ですが、
> 我が家の系図書きなど、見ていただきたいと思っています。

是非、御親族へ尋ねられることをお勧めいたします。先祖調査のスタートは親族からの聞き取り・現存する記録の整理から始まります(先祖調査の基礎知識(事前の調査)参照)。私の場合は、幼い頃、よく祖母が昔の話をしていたのですが、本格的に先祖調査をしてみようと思った頃には既に両祖父母が他界してしまっており、あの頃に詳しく聞いていればと悔やまれてなりません。

また、「明治初期にも当時息子だった方が、甲州や信州のほうまで菩提寺をめぐって、調べて、いま家にある物よりもくわしい家系図を作成したらしい」とのことですが、前回のご投稿内容と合わせると、これは浦野様の家系がやはり滋野氏系で武田氏家臣であった浦野氏の流れを組んでいるということなのでしょう。

先祖調査の方法については当サイトにもまとめてありますように何かあれば小生にもアドバイスできることもあるかもしれません。浦野様の系図等の情報については別途、こちらでご連絡いただければ折り返しメール等で返信させていただきます。

今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
また、「各地の浦野さん情報」のページの更新が遅れていて申し訳ございません。近日中に更新いたします(^^;)。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

Re: はじめまして

 投稿者:浦野与平次メール  投稿日:2007年 7月21日(土)07時22分20秒
返信・引用
  > No.73[元記事へ]

> 長野県最多の浦野さんへ

ご投稿ありがとうございます。
本業の方が多忙を極め、このようにご無沙汰してしまい申し訳ありません。一方で、非常に貴重な情報提供をありがとうございます。
浦野姓日本最多の町、箕輪町からのご投稿、大変嬉しく思います。

> 長野県でも一番戸数の多い箕輪町の浦野と申します。家紋は丸に立ち沢潟です。
> 小県の浦野氏だろうとは思いますが、本家には源氏の流れであるという系図があります。
> (写しは我が家にもありますが)

小生の知る限りの情報では、箕輪浦野氏の一家系に、大字中箕輪の浦野義雄家を総本家とする同族が19戸ほどあると云われています。やはり家紋も「丸に立ち沢潟」ということですので、一族の方でしょうか。この浦野家には慶長初期に書き記されたという系図があり、それによると、甲斐武田の源信義(文治二年没)の四男が信濃国浦野七郷を賜り、浦野四郎信豊を称したとあります。そして、その22代後裔である浦野民部清重は武田信玄に従って、永禄6年川中島の合戦で勲功があったそうです。

御本家には「源氏の流れであるという系図がある」ということですが、これは箕輪浦野氏が後に末裔である浦野清房が慶長元年2月に豊臣家に仕官を願い出たときに門地を尋ねられて家系を提出したところ、秀吉及び執権・片桐東市且元、五奉行・大谷形部少輔吉隆により添え書きされた、清和源氏に相違ないと記した古文書が残されているようです。ひょっとすると同一の情報源でしょうか?いずれにせよ、信濃国浦野に定住し、武田氏に仕えたことから小県浦野氏の家系であると思われます。

何か新しい情報など得られましたら是非当サイトにもご教示頂ければ幸いです。今後とも当サイトをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/kirche_7/

 

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