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> No.73[元記事へ]
> 長野県最多の浦野さんへ
ご投稿ありがとうございます。
本業の方が多忙を極め、このようにご無沙汰してしまい申し訳ありません。一方で、非常に貴重な情報提供をありがとうございます。
浦野姓日本最多の町、箕輪町からのご投稿、大変嬉しく思います。
> 長野県でも一番戸数の多い箕輪町の浦野と申します。家紋は丸に立ち沢潟です。
> 小県の浦野氏だろうとは思いますが、本家には源氏の流れであるという系図があります。
> (写しは我が家にもありますが)
小生の知る限りの情報では、箕輪浦野氏の一家系に、大字中箕輪の浦野義雄家を総本家とする同族が19戸ほどあると云われています。やはり家紋も「丸に立ち沢潟」ということですので、一族の方でしょうか。この浦野家には慶長初期に書き記されたという系図があり、それによると、甲斐武田の源信義(文治二年没)の四男が信濃国浦野七郷を賜り、浦野四郎信豊を称したとあります。そして、その22代後裔である浦野民部清重は武田信玄に従って、永禄6年川中島の合戦で勲功があったそうです。
御本家には「源氏の流れであるという系図がある」ということですが、これは箕輪浦野氏が後に末裔である浦野清房が慶長元年2月に豊臣家に仕官を願い出たときに門地を尋ねられて家系を提出したところ、秀吉及び執権・片桐東市且元、五奉行・大谷形部少輔吉隆により添え書きされた、清和源氏に相違ないと記した古文書が残されているようです。ひょっとすると同一の情報源でしょうか?いずれにせよ、信濃国浦野に定住し、武田氏に仕えたことから小県浦野氏の家系であると思われます。
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