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神社史研究会

 投稿者:丸谷巖(いはほ)  投稿日:2019年12月 4日(水)08時20分23秒
返信・引用
  12月7日、神社史研究会 第五十五回例会は、クラブツーリズムの名古屋会場で開催されます。
当日は北畠親房研究の第一人者、皇學館大学・白山芳太郎教授の「神皇正統記を読む(11)の講義が予定されております。
その後夕刻より忘年会(例会場近くの居酒屋)です。

●詳細は下記の神社史研究会のホームページ
http://www.jinja-net.jp/jinja-shi/annai.html
「問い合わせ(参加)フォーム」 をご利用ください。
 

信楽 五十鈴神社に参拝

 投稿者:やさか  投稿日:2019年11月23日(土)19時30分2秒
返信・引用
  信楽で美味しいと評判の蕎麦の店、黒田屋へ行きました。
噂通り本当に美味しい「お蕎麦」でした。
お店の内外の雰囲気も蕎麦店に相応しくお勧めです。

すぐ近くには五十鈴神社と、有名な信楽焼のお店があったので、愛嬌のあるタヌキさんお顔を一つ一つじっくりと見て廻りました。
 

「渡邊照子作品展」

 投稿者:丸谷いはほ  投稿日:2019年11月22日(金)13時59分34秒
返信・引用
  甲賀市あいこうか市民ホールで催されている渡邊照子氏の個展に行ってきました。
いつもは大阪市内のギャラリーを会場とすることが多かったのですが、
今回はご実家のある滋賀県甲賀市が展覧会場となりました。
御母堂も芸術家で、20年ほど前にその作品集出版の手伝いをさせていただいたことがありました。以来氏には懇意にしていただいております。
展覧会場には、来場者がメッセージを残せるノートが置かれてあり、次のように書きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
渡邊さんの産んだ、素晴らしい作品群に圧倒されました。
これらの子供たちは、渡邊さんから言葉をかけられ魂を宿しているので、方形のキャンバスに閉じ込められたままでは居れません。
人目が無くなると出て来て、仲間と遊んだり一人で気ままに寝転んだりしています。
でも、一番嬉しいのは、お母さんから又声をかけられることなのでした。/丸谷いはほの感想文
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●上段の作品は:「春を待つ」油彩130×162cm
クリック拡大してご覧ください。
でも、ケータイカメラなので解像力が弱く、作品の見事さが表現できないのが残念です
 

能楽座大淀町公演

 投稿者:やさか  投稿日:2019年11月18日(月)09時03分45秒
返信・引用
  吉野郡大淀町は「桧垣本猿楽座」の拠点があった“能楽のふるさと”とも言えるところです。
今も「桧垣本」の地名が残っています。
その大淀町文化会館、あらかしホールで公演された能楽座の仕舞「吉の天人」や能「二人静」を鑑賞してきました。
 

『20億光年の孤独』谷川俊太郎

 投稿者:丸谷いはほ  投稿日:2019年11月12日(火)18時40分6秒
返信・引用
  昭和43年、290円で手にした一冊の詩集、それが谷川俊太郎の詩との出会いでした。
そのときの感動は鮮烈で、今も忘れることは出来ません。
おりにふれては読みかえし、ぼろぼろになった今も大事に手元に置いている、宝物のような一冊です。

大いなるもの、自然への畏敬、
日月星辰にあなたは何を祈るのでしょう

-----------------------------------------------------------------------------------
祈りとは 今日一日を感謝し
     今日の一日を反省して
          明日への希望を誓うことです

               平成13年5月10日  マルヤ
-----------------------------------------------------------------------------------
上記は、昭和43年に書店で手にした一冊の詩集との出逢いの感動を、後に自分が立ち上げたホームページに綴ったものです。
この詩集のことは下記のページにも掲出しています。

http://www.yasaka.org/KOBO/tanigawa.html

 

大阪城公園の探鳥会

 投稿者:やさか  投稿日:2019年10月28日(月)15時21分58秒
返信・引用
  日本野鳥の会/大阪城公園探鳥会に、初めて参加しました。

写真上:ひときわ高い樹上の先端にいる「ジョウビタキ」。 羽毛の色からオスと思われます
写真中:一斉に梢を見上げて、双眼鏡や望遠カメラを向ける探鳥会メンバー
写真下:天守閣の裾野から、真下の堀に水鳥が居ない探す同会メンバー

朝の九時から始まったのですが、あまりにも大勢の参加者に私は少々驚きました。
男女とも年配者のように見受けましたが、中には小学校低学年の参加者も居て、皆さん顔なじみの方々も多いようで、和気あいあいと探鳥を楽しんでおられました。
 

くろまろの郷

 投稿者:やさか  投稿日:2019年10月15日(火)21時47分6秒
返信・引用
  道の駅/奥河内・くろまろの郷に行って来ました。
場所は大阪府河内長野市高向の国道170号線沿線の道の駅です。
この施設は地産地消のレストランと地元の特産品の複合販売店となっています。
「くろまろ」とは遣隋使小野妹子に従って留学した飛鳥時代の高級官吏の高向玄理のことです。後に遣唐使となり654年唐で没したといわれています。

この道の駅の、すぐ近くには、高向神社があります。
高向神社:http://www.yasaka.org/kamigami/takojinja.html
この神社は、高向玄理その人、あるいは高向玄理一族の先祖神を祀る神社と思われます。
 

日光東照宮

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 7月31日(水)15時50分4秒
返信・引用
  日光東照宮に初めて参詣してきました。

●写真上:日光山輪王寺本堂三佛堂
 写真中:東照宮
 写真下:同上「眠り猫」
 

令和元年の丹生川上

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 6月 1日(土)23時17分44秒
返信・引用
  令和時代幕開けの年、丹生川上神社下社の例祭に参列いたしました。
今年の例祭は、丹生川上神社にとりまして実に記念すべき年になったと思います。
例祭当日の今日6月1日は清々しい青空の土曜日で、境内は大勢の参列者で溢れていました。特別に用意された大駐車場も、例祭が斎行される午前10時前には満車状態になって、いかに丹生の川上神社が世間様の注目を集めているか改めて感じられました。

時あたかも徳仁天皇さまが御即位なされた御年。
この記念の年の初めに、丹生川上の天に繋がる階(きざはし)が新調され、朱も鮮やかに新設なった大鳥居と共に、一般にもお披露目されたことは実に感動的なことでした。氏子ならずとも境内にいた全員が感動したと思います。
境内の白黒の神馬たちも明るい日差しの中、砂場で転げまわって喜びを全身で表しているかのようでした。

●写真は丹生川上神社下社例祭当日の景色(クリック拡大してごらんください)
 

新緑の吉野山

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 5月 4日(土)12時42分47秒
返信・引用
  令和元年5月3日、吉野山に行ってきました。
新緑に萌える吉野は大勢の観光客が押し寄せ、午前中に下千本の駐車場は満車になりました。
写真は、吉野山から見る北方の山々、下千本駐車場、勝手神社跡
 

サクラにちなんで

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 4月 2日(火)08時55分40秒
返信・引用
  サクラにちなんで忘れられない歌があります。
それは、「みどりの雨」作詩:丘灯至夫 作曲:古関祐而による昭和28年の藤山一郎の唄です。
昭和35年の春、中学校の修学旅行で東京方面に行き、バスで箱根ドライブウェーを通った時、
バスガール?さんが歌ってくれた唄で、今でもはっきりと思いだします。

1 夢を結んだ あの芦ノ湖に
  浮かぶボートの 懐かしさ
  カラーフィルムに 残した君よ
  ああ 思い出の
  箱根に みどりの 雨が降る

2 ゴルフ帰りの セダンが走る
  乙女峠に ほろほろと
  散り行く花よ 白山桜
  ああ 美わしの
  箱根に みどりの 雨が降る

3 宿の小鳥も 別れを惜しむ
  登山電車に 昼の雨
  湯けむり淡く さよならさらば
  ああ ロマンスの
  箱根に みどりの 雨が降る

●youtubeです。以下のアドレスをクリックしてお聞きください。

https://www.youtube.com/watch?v=GcHyU8k0ofE

 

シロヤマザクラ本日開花!

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 4月 1日(月)18時06分49秒
返信・引用
  五條市西吉野町賀名生の里へ「シロヤマザクラ」の花見に行ってきました。
この桜はオオヤマザクラともいう山桜の一種だそうですが、かの有名なソメイヨシノのような、狂ったように咲き誇る派手さはなく、ひっそりと淡い色で咲いていました。
この賀名生の里には、歴史民俗資料館や南朝の皇居址の堀家住宅、賀名生梅林などがありますが、私はこの地へ春に来ると、必ずと言っていいほど親房公の墓に参拝します。
その度に思いだすのは北畠親房研究の第一人者、皇学館大学の白山芳太郎教授です。
神道学専攻科で学んでいた折に、一方ならずお世話になったからです。
あらためて御礼申し上げたいと思います。

●写真(上):賀名生皇居跡・堀家住宅越しに見える丹生川
 写真(中):開花始めたシロヤマザクラ
 写真(下):「贈正一位北畠親房公之墳墓」と刻まれている親房公墓
 

ソメイヨシノ本日開花!

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月28日(木)17時56分32秒
返信・引用
  河内長野のソメイヨシノが本日開花しました。

●写真は、大阪府河内長野市・住宅地内公園のソメイヨシノ
 

白浜の熊猫さん母子

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月26日(火)21時47分29秒
返信・引用
  白浜アドベンチャーワールドの「彩浜(さいひん)」を見てきました。
昨年8月14日に生まれたパンダの女の子です。
今日はとても天気が良かったので、北国で暮らすパンダにとっては暑いのでしょうか、
扇風機でミストシャワーを浴びせてもらって、元気一杯にママパンダと遊んでいました。
 

コシノヒガン本日開花!

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月24日(日)22時30分45秒
返信・引用
  前記記事訂正
前記記事の内エドヒガンは誤記で、正しくはコシノヒガンでした。
すみません。お詫びして訂正しておきます。

×エドヒガン
○コシノヒガン
 

エドヒガン本日開花!

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月24日(日)18時30分47秒
返信・引用
  大阪狭山市、狭山池公園のエドヒガンが本日開花しました。
大阪のソメイヨシノの開花は一週間ばかり後の4月1日前後となるでしょう。
四月一日には新元号が発表されて、五月一日から施行されるとのことです。
どのような元号名になるのか、大変興味がもたれます。

●写真(上)開花したばかりのエドヒガン越しに見る「狭山池博物館}
●写真(下)南西岸から見渡す狭山池全景
 

イハト成るとは

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月10日(日)12時37分12秒
返信・引用
  「平成」の元号を分解すると、
「一ハ十成」となることは前にも書きました。
岡本天明が自動書記したとされる『日月神示』には、
「火と水で岩戸開くぞ」とか
「富士は晴れたり 岩戸開けたり」というような文言が示されているようです。
もうすぐ平成の時代は終焉を迎えますが、ここで言うところの「岩戸成る」とは、
平成の元号に込められた呪(じゅ)、言霊(ことだま)が成就するということでしょうか。
では、それは何時成就するというのでしょうか。
平成時代が終わるまでに成就するというのでは、あまりにも時間が切迫しています。

『完訳 日月神示(上巻)』には、以下のように記されています。
「第十三帖」
「空に変わりたこと現れたなれば、地に変わりたことがあると心得よ、いよいよとなりて来ているのざぞ」…中略…「天の異変気つけておれよ」以上

火と水による地球的規模の、大天変地異でないことを祈りたいと思います。
 

まんだら湯

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月 5日(火)07時31分42秒
返信・引用
  50年ぶりに城崎温泉に行き、老舗の純和風旅館に泊まりました。
庭木は丁寧に雪吊りをして、被害対策をとっていましたが、今年は一度も雪が積もらなかったそうです。
雪に囲まれた中で温泉情緒を満喫して、カニを食べたいと思っていたのですが、
今年は暖冬とかで雪には遭遇できませんでした。
でもカニは大満足できましたし、温泉地の情緒も楽しむことができました。

写真(上):まんだら湯(城崎温泉)の中心地、木屋町。
写真(中):客室から見る雪囲いされた中庭。
写真(下):エレベーターの無い老舗旅館

 

ヤマトや桜

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月 1日(金)10時45分50秒
返信・引用
  下のURLをクリックしてください。唄がながれます。

♪ヤマトは神の ヤマトは神のつくりし国なれば
 ヤマトやよし ヤマトや桜 ヤマトは今春のさかり ヤマタイの国
 ………
 ………
 ………
♪桜やうれし 奈良に桜の咲く春に 神の来る日
 その日なれば 奈良に集え 奈良に集いて
 語りあかさん はるばる 桜の春やよし♪

 ●ひかりの会/丸谷祥雲 唄:「ヤマトや桜」

http://hikarion.sakura.ne.jp/hikarinokai/reigen1.html

 

耳をすませば(3)

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 2月25日(月)18時29分49秒
返信・引用
  耳をすませば、
私には師の山内光雲の唄声が聞こえて来ます。
「星よ星よ七つ星よ」というツタンカーメン預言歌です。
ここで言う所のツタンカーメンは、1922年に「王家の谷」で発掘された、前14世紀エジプト第18王朝の「悲劇の少年王」とは直接の関係はありません。

●ひかりの会・創始者/山内光雲 唄:「星よ星よ七つ星よ」

http://hikarion.sakura.ne.jp/hikarinokai/reigen3.html

 

耳をすませば(2)

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 2月25日(月)17時20分32秒
返信・引用
  耳をすませば、
戦争や戦争の噂が聞こえてきませんか?
また、軍靴の音や武器の擦れ合う音を耳にしませんか?
日本を取り巻く森羅万象に異変は認められませんか?

平成とは「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」の『史記』あるいは『書経』から引いて採られたともいう年号です。
その平成という年号もあと2か月余りで改元されることに決まっています。
前にも書きましたが平成の文字を分解すると、一ハ十成(岩戸成/いわとなる)と分解できます。
改元まで残り僅か60日位になり、この60日位の内に「イハトナル」の神業が成就するともいいます。
…と言う事は、この先想像を絶するような大災害が日本を襲い、それが世界中に拡大されると言う事になります。
それが自然災害とすれば、それはカミワザ。「火水業」と文字を当てれば、
それは火山噴火又は地震によって引き起こされる大火災か大水害が想定されます。
考えられるのは南海トラフ大地震と富士山の大噴火だ。
何事もなく、静かに新元号のもと、真に平和な時代を迎えたいものだと、切に思うものです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『舊新約聖書』/日本聖書協会1975 舊約聖書51P~52Pより引用/ マタイ伝第24章

…又なんぢら戦争と戦争の噂とを聞かん、愼みて懼(おそる)るな、斯かる事はあるべきなり、然れど未だ終にはあらず。即ち「民は民に、國は國に逆らいて起たん」また處々に飢饉と地震とあらん、此等は産(うみ)の苦難(くるしみ)の始なり…
…これらの日の患難ののち直ちに日は暗く月は光を發たず星は空より隕ち、天の萬象、ふるひ動かん。そのとき人の子の兆し、天に現れん。そのとき地上の諸族みな嘆き、かつ人の子の能力(ちから)と大いなる榮光とをもて天の雲に乗り来るを見ん。
 

耳をすませば(1)

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 2月25日(月)16時16分0秒
返信・引用
  耳をすませば、
紺色のうねりが我が日本列島に押し寄せてくる音が聞こえるような気がしませんか?
作詞:宮﨑駿・宮崎吾朗、作曲:谷山浩子 原詩:宮沢賢治 の手嶌葵が歌う
ジブリアニメ『コクリコ坂から』の挿入歌「紺色のうねりが」の曲は素晴らしい。
研ぎ澄まされた詩人(宮沢賢治、宮崎駿)の霊的感性には未来が写っているのでしょうか?
卓越した詩人の霊性が、作曲者や歌手の能力をも最大にひきだすのでしょうか。


これはしかし…、この歌詞には大変恐ろしい内容が含まれていると、私には思えてなりません。

https://www.youtube.com/watch?v=HHUuuWRUIWk

 

熱田大神

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 1月30日(水)22時49分24秒
返信・引用
  熱田大神(あつたのおおかみ)とは、
熱田神宮宮庁発行パンフレットの「由緒」によりますと、
「御祭神の熱田大神とは、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)とされる天照大神のことです」と説明されています。
このように熱田神宮は、三種神器の一つ「草薙神剣」をお祀りする旧官幣大社です。

この熱田神宮で、平成31年の神社史研究会、新年参拝と今年初めて例会が催されました。
神宮東門前に集合して、まず御垣内正式参拝。
会館に移って皇學館大学白山教授「熱田神宮とその神事」の講話。
その後は境内を巡拝して、夕方からは駅前の居酒屋へ移動し新年会がありました。

●熱田神宮・境内の部分写真
写真【上】こころの小径の案内表示
写真【中】熱田大空襲で生き残った楠の大木の内の一本
写真【下】本宮裏参拝所
 

年の暮れ 丹生川上神社

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月21日(金)19時53分9秒
返信・引用
  平成時代最後の年末は、丹生川上神社下社に参拝しました。
久しぶりの参詣でしたが、白と黒の神馬たちは今日の暖かい日を浴びて、以前に変わらず元気そうでした。
久しぶりの境内で、まず目についたのは真新しい赤の大鳥居でした。
門松もすでに設えてあって、年末年始の準備も万端と見受けられました。
工事中の階(きざはし)も完成に向けて鋭意進められているようです。

本日は残念ながら宮司さんにはお目にかかれませんでしたが、
お聞きしましたところ来年の6月1日例祭の折には登段初めができるとのことでした。
新年号と共に生まれかわる新生「丹生川上神社」のお姿を拝見するのが楽しみです。
 

スマホとfacebook

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月17日(月)09時13分45秒
返信・引用
  スマホを使い始めて半月ばかり経ちました。
先頃それで、facebookも登録をしました。
ところが、スマホもFaceBookも私は苦手です。
どちらも思うに任せず、どうも手に負えません。
それで、facebookからは離れようと思います。
スマホはこのまま持つつもりですが、当分の間は限定して利用しようと思っています。
もし私にご用の折には、従前どおりのメールでお願いいたします。

facebookでは当方から申し入れて、お付き合い下さったのに身勝手ですみません。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 

スマホ、デビュー

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月16日(日)12時08分2秒
返信・引用
  今時スマホデビューなんて遅すぎて笑われそうです。
スマホは全く別物なんですね。
ガラケーとはまったく違う。
それで、facebookも登録したのですが応答の仕方がほとんど分かりません。
スマホの操作自体もよく解らず、「知り合いかも」で何人かの方に失礼してしまったかも知れません。
どうもすみません。
スマホの操作が理解出来ていないところに、facebook自体の応答の要領が良く理解できていないのです。
スマホでうまく表現や応答ができないので、こちらの掲示板にでも書いてお詫びしておきます。
 

平成時代の終焉

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月12日(水)20時20分7秒
返信・引用
  平成時代最後の参詣になると思い、東京へ行ってきました。
まず初日は靖国神社に参拝して、翌日は明治神宮にも参拝しました。
せっかく東京に来たので、まだ日本一高い展望台に上がっていなかった、あのスカイツリーにも登楼してきました。
久しぶりに行った東京で私が印象に残ったのは、いつもと同じ東京駅のたたずまいでした。
あの赤煉瓦作りの駅舎は、存在感たっぷりで、何時もしばし佇んで見惚れます。

渋谷駅間近のホテルに宿泊したのですが、10階の窓から見下ろす街並みは美しく、電飾球が煌いていました。
以外だったのは、街歩きの人々が想像していた以上に少ない事です。
街歩きの人々が早々と減ってゆくのです。
東京有数の繁華街だというのに、夜十時にもなれば殆んど人通りが無くなってしまいます。
あまりにも天候が急に変わって、寒さが身に凍みるようになったからでしょうか。
飲食店は、ほぼ満席のようなので、各々がお気に入りのお店で楽しんでいるのでしょう。

●写真は 【上】靖国神社
      【中】Solamachi スカイツリー
      【下】明治神宮
 

丹生都比売神社

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月 6日(木)09時33分20秒
返信・引用
  久しぶりに(10年ぶり位)丹生都比売神社に参詣しました。

写真「上」は、手水舎水盤です。清冽な水がたっぷりと注がれていて感動します。
近頃は水を節約するためか、多くの神社で水が止められていたり、糸のように絞られた僅かの水しか出していない所が多いようです。
その点この丹生都比売神社のある伊都郡天野盆地は、水が豊富なようで水がふんだんに使えるようです。
でも決して無駄使いをしているのではなく、鯉のいる池に入れるなど自然に戻しているので安心です。
ところで、この水盤に刻まれている巴紋ですが、これは「右三つ巴」ですね?
まるい頭の部分が右側で、左に尾を流して右回転のように見受けられるので、
これは私は右三つ巴と見るのですが、神社によってはこれを「左三つ巴」と呼ぶむきもあるようです。
たしかに、神様側から垂れ幕を見ると(つまり裏側から見ると)左巻きに見えます。
さてどちらが正しいのでしょうか?。
どなたか教えていただけませんか。
ちなみに丹生都比売神社の神紋は「左三つ巴」といわれていたようです。

写真「下」は、真新しいノコギリあとの檜か彬の切り株です。
境内の片隅に、すでに割木にして積み上げられていました。
きっと年末・年始の「とんど」の焚火としてつかわれるのでしょう。
あるいは「あまざけ」を煮る薪としてつかわれるのかもしれませんね。
 

巷の神々/霊能者について

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月27日(火)12時34分1秒
返信・引用
  霊能者とは『広辞苑』によれば、
「日常の世界と神霊の世界とを結びつける資質を持った宗教的職能者。預言者・シャーマン・霊媒など。」と説明されています。
平成の現代においても、街中の占い師、テレビにも出演するような有名な占い師から、新興宗教の教祖に至るまで、霊的能力を自称する人たちが多く居ます。
ところが本当に心霊と交信できる霊能を持った「ほんもの」は殆んどいないと言ってもいいと思います。
そこで、多くの新興宗教の門をくぐり、信者として実地に体験した筆者の経験から、本物と感じられた人物をあげてみたいと思います。

●霊能者との出逢い体験

①昭和25・26年頃の拝屋(おがみや)さん:吉野郡湯川蔵王堂民家老人(名前不詳)
 癇性が強過ぎるので治そうと、筆者が五歳前後の幼年期に母親が連れて行って治療してもらった。
【治療方法】左掌(ひだりのてのひら)へ、筆に墨を付けて渦巻模様を描き、
 呪文を唱えて癇虫(かんむし)を追い出すというような説明の後、その呪術を行う。
(親指を除く4本の指先からウジ虫のような白い虫が上り立って出て行った。)
 この拝み屋さんで(かんむし)を除いてもらったと母親は言っていた。

②昭和30年前後、辨天宗大和本部・宗祖さん:
 筆者が10歳頃、両眼が充血して、よく眼が見えなくなって、いつまでも治らなかった時、
 母親が五條へ連れて行き、宗祖さんに面談して薬草を処方してもらって完治した。
 それ以前、母親も婦人病を完治させていただいている。

③平成9年、ひかりの会・山内光雲さん:
 筆者52歳の時、姉の紹介により、高槻の事務所で山内光雲(本名:山内昌)氏に初めて会った。
 まったく驚きの出逢いだった。
 あらかじめ自筆で書いて出していた紙片(氏名と年齢のみ)を見て、氏は悉く言い当てた。
 まず配偶者のこと、娘のこと。そして前世のことである。
 ただし前世のことは、本当の事かどうか確認のしようがない。
 確認のしようは無いが、思い当たることや、確信できることが多くあった。
 氏は大阪大学薬学部卒業の薬剤師であり、多くの実用新案特許を持つ発明家である。
 また、「ひかりの会」創立者で、初代会長でもある。
 この山内光雲(故人)こそ真の霊能者と呼ぶに相応しいと思う。
 

吉野川と大和五條

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月17日(土)11時19分30秒
返信・引用
  奈良県五條市は、古く大和国宇智郡だった頃、広く世間に知られていたのは、
藤原武智麻呂が719年に開創したと伝わる栄山寺である。
平安時代には、弘法大師空海が同じ宇智郡犬飼で狩場明神と出逢って、高野山開創の道筋を得たことが知られる。
近世に至っては幕末の頃、倒幕の先駆けとして天誅組が襲撃をかけたのが五條代官所で、
その初めての本陣が設けられたのも五條の桜井寺だった。
昭和に入ってからのいわゆる戦後は、五條高校が女子水泳競技で10連勝するなど、水泳で全国的に有名になった。
吉野川の清流で泳ぎを覚えた少年少女が、五條高校へ進学して水泳部に入り全国的に名をあげたのだ。
その他のスポーツでは、辨天宗にゆかりの智辯学園高校と、智辯学園和歌山高校が
野球の強豪校として全国的に知られており、春・夏の高校野球の上位常連校である。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
宗教法人辨天宗/平成14年9月25日設立登記
宗祖/大森智辯
初代管長/大森智祥
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

●筆者やさか追記:

①この「弁天さん」に係る一連の記事は、政治家であり作家でもある石原慎太郎氏が、
昭和42年9月に上梓した『巷の神々』/サンケイ新聞出版局/を参考にしている。
この本は全1210枚にも及ぶ大著で、その内27枚位が辨天宗宗祖のことを書いている。その中で氏は
「天の大きな恩寵を受けた人間、ということで、教祖というものの性格は大同小異といえるが、
現実にその人自身の口からその経緯を聞かされ、その人の行った超現実的なものごとを目にするのは、なんとも興味深い。
その点、辨天宗祖大森智弁は、私が教祖自身の活躍中にじかに面談出来た一人であって、
茨木で彼女の話を聞いて過ごした一夜は、私にとって甚だ興味深いものだった」と記している。

②実のところ、筆者も智辯宗祖に直にお会い出来た一人である。
10歳前後の子供の頃、何の病か目を患って良く見えないようになったことがあった。
「弁天さん(母はいつもそうお呼びした)に診てもらおう」と、母は私を連れて五條へ行った。順番が来て母と私は宗祖の弁天さんの座机の前に座った。
弁天さんと母がどのような話をしたかは覚えていない。
弁天さんは目の前で、薬草の様なものを手で捏ねておられた。
その団子を、傍らの一人の青年が、私の左手首の内側に押しつけて、包帯で巻いてくれた。
後で母から「あの人が弁天さんの息子さんやで」と聞かされた。
あくる日に包帯を取ると、手首に腕時計大の水ぶくれが出来ていた。
「毒を集めた水なので、それを捨てると治りますよ」
と、あらかじめ聞いていたので、全く痛くもなく何の心配もしなかった。
結果的にこれで私の眼病は完治した。以降、眼医者の世話になったことはない。

③この記事はまた、辨天宗・宗務庁発行の宗祖自伝『生命の水』を大いに参考とした。
そして収載されていた写真も転写・転載させていただいている。謹んで御礼申し上げたい。
「ありがとうございました」

●写真の吉野川は西流して橋本市にはいると「紀の川」と名を変える。
 

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