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吉野川(続・走り弁天)

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月16日(金)17時25分0秒
返信・引用
  やがて清子は夫の大森智祥と大師堂を出て、五條市野原町の十輪寺の住職夫婦として移り住みました。
智祥は住職として大師堂との兼務にいそしみ、清子は妻として家事の全般から檀家の家庭の相談相手まで、毎日を忙しくつとめていました。
子供にもめぐまれて、檀家からも羨ましがられるような日々をおくっていた清子でしたが、
次男が生まれたあたりから、なんとなく身体の不調の日々が続きました。
これといった原因が分からないうちに、肩が凝り手足が痛み、働き者の清子でも苦痛を訴えて起き上がれない日が続きました。
近所の医者で看てもらっても分からず、智祥はうろたえて大阪医大まで清子を連れて行ったこともありましたが、
納得のいく回答は得られませんでした。

あるとき近所の古老が「この寺には辨財天さんが一体いやはるはずや」
と言いだした事から、境内建物の隅々や物置の奥まで改めてみました。
すると境内の古い祠の中から、両手が肩のあたりからもげ落ち、埃にまみれて薄黒く汚れた、
紛れもなく辨財天の木像が片隅にころがっていました。
更に本堂の床下からも、護摩の灰でつくった小さな辨財天の像があらわれました。
この像は空海の作であり、木像は行基の作でした。
ただちに祠は清掃し、木像は修理に出し、護摩灰像も手入れして鄭重にお祭りしました。
すると清子の病気は全快しました。
この頃から清子は辨財天像と一体化したかのように、霊能力を併せて持つようになっていきました。
幼少の頃からも他の子供たちとは違う不思議な力を持った清子でしたが、
辨財天像を見つけてお祭りした頃からより一層その靈能力が開花したようでした。
まず近所の長屋に住む檀家の主人と長男の病気を、的確な指示で全快させました。
次は吉野郡白銀村の婦人の業病をぬぐい去りました。
多くの病気の原因は、先祖代々からの深い因縁よるものだと清子は言います。
辨天宗宗祖伝『生命の水』によれば、
「こうしてこの年、昭和9年を境に、清子の平凡な妻、母としての生活は、自分の意志をこえた大いなる意志の力によって押し流され、一宗の宗祖、うつし身の神としての生涯へ転換したのである。」と記されています。
そして信者は五條市野原から徐々に広がって行きました。
たちまち周辺の市町村にも、その評判は伝わります。
増え続ける信者は、宗祖大森智辯の神示を求めて殺到しました。
列車が国鉄和歌山線五条駅に到着すると、信者は一刻も早く宗祖に面談してもらいたくて、
野原町の十輪寺に向かって一斉に駆け出すのでした。
その事から「走り辨天」と人々が言い始めたのです。

●写真は 【上】十輪寺山門の寺銘板
    【中】辨天宗総本山如意寺(大和本部)
    【下】大和本部節分祭での風景(『生命の水』宗祖伝記より転写)
       中央に宗祖ご夫妻。向かって左から女優の浪花千栄子、清川虹子、右に島倉千代子の各氏
 

吉野川 (続五條)

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月15日(木)10時44分57秒
返信・引用
  …前文からの続きです…
故郷飯貝の実家に戻った清子は、妹らと共に家事手伝いをして過ごしていました。
請われれば近隣の旧家や商家へ行儀見習いを兼ねた、手伝い奉公にも出ました。
彼女の周りには不思議と人が集まりました。
清子が店番をしていると、店に花が咲いたような陽気になって客が次々と増えていくのでした。
昭和の時代に入り清子が19歳になった頃、母親スエの強引な薦めで見合いをさせられたことがありました。
この時清子は当時の風習からしても、見合いなどすると結局は結婚させられると恐れて家出をしました。
その時は自殺するのではないかと村中が大騒ぎをして吉野川の川筋を探し回るような事件をおこしましたが、
この時は対岸上市の叔母の家に遁れて難なきを得ました。
叔母の吉井けいは、吉野上市「大師堂」の有力な檀家でした。
この大師堂の修行僧が、後に五條の十輪寺住職となり、清子と結婚することになる大森智祥だったのです。
清子が20歳になる昭和4年の年があけた時、上市の叔母の吉井けいが清子の家に来て
「大師堂の智祥はんがお前をヨメにもらいたい言わはるんやけど…」と言ったそうです。
吉井けいは智祥に、おおいにほれこんでいたのです。
清子も智祥の名は知っていたし、道ですれちがったこともあり、
評判も聞いて好感をもっていたので反対する理由はなにもなかったのでした。
その年の7月、智祥と清子は結婚式をあげました。村中が祝意を寄せた婚礼だったと言います。

●写真は/クリックで大きくなります---------------------------------
【上】吉野川/対岸が十輪寺のある五條市野原町(大川橋北詰より撮影)
【下】高野山真言宗 杖桜山十輪寺

 

吉野川(続)

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月12日(月)08時16分53秒
返信・引用
  近鉄吉野線・上市駅の吉野川を挟んだ対岸に、六雄山・本善寺があります。
ここは蓮如上人ゆかりの浄土真宗の名刹です。
また桜の名所でもあり、毎年3月末ごろに満開となる樹齢300年のエドヒガンは見事な花を咲かせることで有名です。
飯貝御坊とも言われているこの寺は、吉野郡吉野町飯貝にあって、この地は『記・紀』で語られているところの井光(井氷鹿)伝承地でもあります。
またこの「飯貝の里」は、辨天宗宗祖、智辯尊女こと大森清子氏(旧姓吉井)の出身地です。
大森清子について-----------
清子は、明治42年(1909)4月1日、奈良県吉野郡吉野村飯貝に生まれました。
生家の吉井家は本善寺の有力な檀家だったようですが、当時盛んであった養蚕業の取引で当主の吉井重吉が失敗をして、清子が幼少の頃は家計が豊かではなかったようです。
幼少の頃から数々の奇跡的な行いが伝えられている清子ですが、13歳の頃、家計を助ける為に自分から進んで働きに出ると言いだし、後に「女工哀史」とうたわれたほど過酷な労働を課す製糸工場へ年季奉公に出たのでした。
その製糸工場でも清子は生来の負けじ魂を発揮して、たちまち生糸紡ぎの技術を自分のものにし、抜群の成績をあげて表彰を受けたこともあるという。
様々な苦悩の体験を乗り越えて、家の負債を整理し家計の危機を切り抜けて、清子はやっとのことで生まれ故郷の吉野町飯貝へ戻ってきたのでした。

●写真は
【上】:上市駅南側、本善寺前の吉野川
【中】:六雄山本善寺・山門
【下】:六雄山本善寺・本堂
 

吉野川

 投稿者:やさか  投稿日:2018年10月18日(木)18時25分49秒
返信・引用
  久しぶりに五條市滝町に行きました。
滝町は、あの丹生川上神社祠官、橋本若狭の生地です。
この辺りの吉野川は、昔とほとんど変わらず美しい水が豊かに流れていましたが、
子供の頃の記憶にある水辺まで近づけないのです。

昭和30年代中頃は、子供たちは水辺で遊び、吉野林業で潤っていた吉野の旦那衆は、
屋形船でこの辺りから芸者を連れて乗船、すぐ下流の栄山寺前の通称音無川を通過し、
五條から橋本まで川遊びをしていました。

今はほとんど誰もが川筋に近づかないのか、雑木や竹藪が生繁り通り道すら無くなっています。
水辺まで降りる道を探していると、一軒の農家前でご夫婦に逢い、川へ下る道まで案内してくださったのですが、とても通れそうな道ではありませんでした。

●写真は、滝町の吉野川、ご夫婦が飼っておられる毛並みのとても美しいネコ、近くの龍光寺・空海像。
 

雛型経綸

 投稿者:やさか  投稿日:2018年10月 4日(木)13時51分54秒
返信・引用
  戦前の「皇道大本」には、雛型経綸(日本は世界の雛型、日本にあったことは世界に移写する)という教えがあった。
今日本は、自然の大災害に次々と見舞われていて、自然災害の活性期の真最中のようである。
日本に起きた災害が世界に向かって拡大するとなると、この後世界には次々と災害が襲い掛かることになる。
つい先日も日本にあった津波と同じような自然災害が、事実マレーシアを襲った。
時あたかも今は平成時代。
平成とは「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」の『史記』あるいは『書経』から引いて採られたともいう年号である。
その平成という年号もあと半年余りで改元されることに決まっている。
平成の文字を分解すると、一ハ十成(岩戸成/いわとなる)と分解できる。
改元まで残り僅か半年である。この半年の内に「イハトナル」の神業が成就するともいう。
…と言う事は、この先想像を絶するような大災害が日本を襲い、それが世界中に拡大されると言う事になる。
それが自然災害とすれば、それはカミワザ。
「火水業」と文字を当てれば、それは火山噴火又は地震によって引き起こされる大火災か大水害が想定される。
考えられるのは南海トラフ大地震と富士山の大噴火だ。
こうした自然の大災害が世界に移写されるとなると大変な事となる。
世界各地で火山が次々と噴火を始め、極めつきにはアメリカ・イエローストーン公園のスーパー火山が64万年ぶりの大噴火を起こすかも知れない。
このスーパー火山が噴火すると北アメリカ大陸は壊滅してしまう。
そうなれば世界に君臨する現代のローマ帝国、アメリカは世界から消えてしまい、現代世界の勢力図が一変するだろう。
その後どのような世界がこの世に現出するのだろうか?
それは千年王国の始まりかも知れない。

●以下の預言歌を参照ください
星よ星よ 七つ星よ (ツタンカーメン預言歌)歌 山内光雲
http://www.yasaka.org/YAMATO/tutanc1.html
 

伝統の老舗旅館

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 9月25日(火)13時56分5秒
返信・引用
  三朝温泉に行きました。
旅館から歩いてすぐの三朝神社に参拝。
なんとこの神社は、手水に温泉を使っていました。
湯温は、たぶん40℃近くもあるかと思えるほどの温かさでした。
ぜいたくな掛流しで、今まで何社もの神社に参詣していますが、このような神社は初めてです。
また神社の近くでは、黒と黒虎の二匹のネコちゃんが近寄って来てくれました。

●写真は依山楼岩崎とネコちゃん
●三朝神社:www.yasaka.org/kamigami/misasajinja.html
 

後夜聞佛法僧鳥

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 9月 7日(金)15時38分51秒
返信・引用
  夜明けに仏法僧鳥を聞く ―空海―
---------------------------------
閑林に独坐す 草堂の暁
三宝の声 一鳥に聞く
一鳥声有り 人こころ有り
声心雲水 ともに了了
---------------------------------
『空海/三教指帰』加藤誠一訳には、次の説明が付けられています。

「コノハズクの啼き声は仏法僧という仏教で最も大切な三宝をあらわしている。
鳥の声もそれを聞いている自分の心も、流れる雲も逝く水も、大日如来の活動そのものではないかと嘆じている」
 

「仏法僧」を撮影

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 9月 2日(日)12時19分42秒
返信・引用
  「ブッポーソー」と鳴く鳥を、やっと撮影しました。
確かに、いつもと同じように「クークー ブッポーソー」と鳴いていましたが、
私はハトにしか見えませんでした。
撮影はNikon COOLPIX P510
(上)写真/ズーム300㎜前後
(中)写真/ズーム500㎜前後
(下)写真/ズーム1000㎜前後
この鳥は何という鳥なのでしょう?私には分かりません。
どなたかこの写真をご覧になった方で、ご存知の方、お教えくださいませんか。
 

仏・法・僧

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 8月31日(金)10時04分32秒
返信・引用
  「あつく三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」と聖徳太子が言われたとか。
つまり、「仏陀と仏法と僧を尊敬しなさい」と説かれたものと思われます。
この言葉を目にすると、「ブッポーソー」と鳴く鳥を想い起こします。
子供の頃、この鳴き声を耳にする度、(どんな鳥が鳴いているのだろう?)と不思議に思いました。
祖母に聞くと「あれはブッポーソーという鳥やで」教えてくれたものです。

最近、この鳴き声を度々耳にするのです。
昨日も家でこの鳴き声を聞き付け、すぐ外に飛び出て探しました。
そして、その鳴き声のする辺りに目を凝らしました。
電柱のてっぺんに、白っぽいハトのような鳥が止まっていて、その鳥が鳴いているようでした。
子供の頃、聞いたのと同じ鳴き声でした。
「クークー ブッポーソー、 クークー ブッポーソー」と私には聞こえて来ます。
写真を撮ろうと、すぐ家に帰りカメラを持ちだしましたが、撮影し損ねました。
残念にも充電ができてなくて動かなかったのです。

ネットで「ブッポウソウ」を調べてみると、この鳴き声の鳥はフクロウ科のコノハズクだとあるのですが、私にはハトにしか見えませんでした。
この次は失敗せずに撮影しようと、用意をして待ち受けている今日この頃です。
 

Re: 丹生川上神社

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 8月30日(木)11時32分55秒
返信・引用
  > 先般発表した内容ですが、「神社史研究会」のホームページで見ることが出来ます。

早速「神社史研究会」のホームページ/お知らせ/8月26日/の記事から拝読しました。
『丹生川上神社についての研究』、見事な論文と思います。
式内・丹生川上神社三論社の内、どの社が本来の「丹生川上神社」かについては、様々論じられてきました。
私もHP上では丹生川上神社について私見を断片的に書いております。
結論的には、「歴史的に見て『官幣大社丹生川上神社』」は三社一社であったが『延喜式内社の丹生川上神社』」は一社、
それも一座であるのでそれは現在の下社であるとしたい」といわれる民社の宮司さんと同じです。
でもその内容は私とは比べるべくもなく、細微に亘って論証されており敬服いたします。
論旨が明確で、無理が無く結論に導かれていると思いました。
また、資料写真も興味深いものでした。
丹生川上神社上社の旧社地と旧社殿には、私もご遷座以前に参拝していたので、なつかしく拝見しました。
どうもありがとうございました。(8/30部分訂正)
 

丹生川上神社

 投稿者:民社の宮司  投稿日:2018年 8月29日(水)04時54分27秒
返信・引用
  先般発表した内容ですが、「神社史研究会」のホームページで見ることが出来ます。宜しくお願いたします。  

魚座時代の終焉

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 8月18日(土)22時20分10秒
返信・引用
  西洋占星学(占星術)では、現在の西暦2018年は既に「魚座」の時代は終わったといわれているようです。
一説によりますと、
イエス・キリストが誕生したとされる西暦紀元前4~6年頃から魚座の時代に入ったとも言われますので、
それから2018年以上経過した現在、もうすぐその「魚座の時代」が終わり、
新たな「水瓶座」時代に入る頃とも言えるかも知れません。
占星学の説では、地球の歳差運動は1周で25,920年なので、春分点を1星座が移動するには、
その十二分の一、すなわち2,160年を要するようです。
2000年以上ものこの「魚座の時代」は、本当に大変な時代だったと思われます。
地球上いたる所が争いに満ち、いたる所で戦争が行われ、人々は殺し殺されした歴史がありました。
平和を願う人々の間に「偉人、聖人、神人」が希求される時代でもありました。
この時代の代表的人物の一人が、西方ではイエス・キリストであり、東方では空海上人と言えるのではないでしょうか。
さて、次の「水瓶座の時代」とはどのような時代になるのでしょう?
アクアリウスは風のトリンの一つで水に表象されます。
同じ風の仲間には、双子座、天秤座があります。
星座名から受ける印象は「さわやかな空気」です。
透明で爽やかな時代の到来が待ち望まれます。
魚座時代の世界を牛耳っていた極悪神オロチには、そろそろ退場願わねばなりません。
 

平成時代の終焉

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 8月18日(土)14時27分18秒
返信・引用
  年号の「平成」は後少しで終りを告げます。
平成の年号はご存知のように、その由来は、『史記』の「内平外成(内平かに外成る)」と
『書経』の「地平天成(地平かに天成る)」から採られたようです。
この年号に込められたのは「内外、天地とも平和な世でありますように」との願いともいわれます。
 また平成は、その文字を分解すると「一ハ十成ル」つまり岩戸成るだとも言われ、
「天の岩戸神話が成就する」と巷間の一部で囁かれます。
閉塞状態にある(岩戸に閉じ込められていた)日本ですが、
遂に岩戸が開かれ再び世界に向かって躍進できる時代を迎えるようになるようです。
では新年号が施行される来年の5月1日からは、どのような名の年号になるのでしょうか?
次の新年号のイニシャルは、ずばり【A】だと私は思います。
では新年号は何か?
それは、この小蘭の記事が年号決定者の目に触れなかったという条件に叶えば、
それは「安文」となるはずです。この年号の発音は(あんもん)です。
Am-monとリエゾンされて発音されることになるでしょう。
(もちろん、これはやさかの私見です)
 

Re: 丹生の川上

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 8月18日(土)11時42分55秒
返信・引用
  > No.381[元記事へ]

> 突然失礼します。私は以前中社に勤めていたものです。今度8月26日出雲大神宮において「丹生川上神社の研究」と題して発表します。やさか様の期待通りの内容になると自負しております。


民社の宮司様

書き込みありがとうございます。
「丹生川上神社の研究」、とても興味深いご発表ですね。
ぜひとも拝聴させていただきたい内容になると思いますが、
今年は殊のほか暑さが厳しいためか、あるいは年波の所為か分からないのですが
何故か身体が怠いのです。それで遠くに出かける気力がありません。
それで折角のご案内ですが、参加できそうにありません。
何れかのホームページ、あるいは掲示板で拝読できるようになれば幸いです。

お知らせありがとうございました。
 

丹生の川上

 投稿者:民社の宮司  投稿日:2018年 8月17日(金)18時50分10秒
返信・引用
  突然失礼します。私は以前中社に勤めていたものです。今度8月26日出雲大神宮において「丹生川上神社の研究」と題して発表します。やさか様の期待通りの内容になると自負しております。
 

ユニークな神社

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 7月31日(火)17時52分55秒
返信・引用
  京阪電車・萱島駅構内の「萱島神社」は実にユニークです。
このほどその存在を知って、早速参拝に行ってきました。

なんとその御神木は高架上の駅舎を突き抜けて、更にその上に枝を広げていました。
元は「神明社」といった社名で、地域住民の方たちが祭っていたのだそうです。
御神木の大楠は樹高20メートル。推定樹齢は700年。
現在の社殿は、京阪電鉄が昭和55年に造営・寄進したものといいます。

●萱島神社: www.yasaka.org/kamigami/kayasima.html
 

AMADEUS

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 6月21日(木)11時03分47秒
返信・引用
  TSUTAYAで借りてきたCDで、映画「アマデウス」をまた見ました。2時間40分の長編です。
この映画を初めて見たのは30年ほど前のことですが、ふと又見たくなって借りてきました。
この映画は、作曲家モーツアルトと宮廷楽長サリエリの人生を脚色して
ブロードウエイで上演された戯曲「アマデウス」を1984年に映画化した作品だそうです。
従って必ずしもこの映画の内容すべてが二人の史実ではありません。
でも、とても良く出来た作品で、配役の演技力も秀逸で真に迫っています。
真にモーツアルトは「天才」の一人と言って過言ではないと思います。

でも以下の「wikipedia」の記事によれば――――――――
(モーツアルトは)死去する3年前の手紙に自分自身のことを語っている。「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だった頃から、特別な才能の持ち主だと、同じことを言われ続けています。目隠しをされて演奏させられたこともありますし、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれば、簡単にできるようになります。ぼくが幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」――――――――以上

天才といえども、絶え間ない継続した努力が必要ということでしょうか。
このCD、上映時間は161分ですが、見終わった後すぐにもう一度初めから見直しました。
私は気に入った映画作品は何度も鑑賞するのが癖になってしまっています。
 

ここも洛北

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 5月26日(土)11時20分30秒
返信・引用
  初めて船岡山に上りました。
この山には建勲神社が鎮座していて、この前の道路を通るたびに、お詣りしたいと思いつつも未だ参拝していなかったのでした。
この山は標高200メートルにも満たない小さな山なのですが、歴史的にも戦略の要所としても使われただけあって、かなり険しい単峰になっています。

ご存知この建勲神社は織田信長公を祀る神社ですが、明治天皇により創建されたそうです。
境内からの眺望は素晴らしいもので、比叡山が正面に仰げます。
写真はその叡山ですが、よく見ると左下方には大文字山らしいのも写っています。
 

初夏の洛北

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 5月15日(火)22時17分33秒
返信・引用
  青葉が目にも鮮やかな、清々しい洛北を巡りました。
上の写真は、三宅八幡駅近くから仰ぎ見た比叡山
中と下の写真は、崇道神社と社頭の説明看板です
 

♪あなたのすべてを♪

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 4月28日(土)11時49分30秒
返信・引用
  この歌を初めて聞いたのは、もう30年も前のことです。
カセットテープで貰った内の一曲でしたが、とても気に入って車の中でよく聞いたものでした。その内テープが切れてしまったのと、カセットが使えなくなったこともあって、長い間この曲のことは忘れていました。

ところが、このほどYOUTUBEで偶然この曲名を見て、聞いてみたのです。
昔に聞いたのとまったく同じように素晴らしい曲でした。
また、素晴らしい歌声でした。何度も聞きたくなります。
この曲は、フランク永井、尾崎紀世彦、テレサテンなど、多くの歌手が歌っていますが、この曲に限ってはやはり、本家の佐々木勉が一番だと私は思います。
本当に心に染み入るような名曲だと思います。今一度聞いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=_2anr-KzEiQ

https://www.youtube.com/watch?v=_2anr-KzEiQ

 

猫好き

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 4月12日(木)18時14分2秒
返信・引用
  『三島由紀夫 100の言葉』宝島社刊に次のような一文がありました。

――――――――私はいつも猫のようでありたい
三島由紀夫は、優雅と卑しさ、勇気と卑怯、高貴と野蛮などを併せ持つ猫の特性こそこそ、芸術家の理想としている。
作家に愛猫家は多いが、三島もまた、チルという名の猫を飼い可愛がっていた。
知人に宛てた手紙には、
「(前略)小生の書斎の唐紙を勝手にあけて入ってきて、油断をすると、書きかけの原稿の上へ泥足で坐り、小生のペンの動きにじゃれます。小説なんか書いている人間が、よほどバカに見えるらしいです」と記し、溺愛ぶりが読み取れる――――――――

●写真は南大阪の住宅地で見つけた飼い猫です。出窓でくつろいでいました
 

狭山池の桜満開

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 3月26日(月)18時52分42秒
返信・引用
  狭山池公園のコシノヒガン、ソメイヨシノが今日満開になりました。
南海高野線・大阪狭山市駅から徒歩5分と簡単に行けるので毎年大勢の人で賑わいます。
今年も好天続きの絶好の花見日和で、多くの人たちが花見を楽しんでいました。
 

ソメイヨシノ開花

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 3月25日(日)19時03分44秒
返信・引用
  今日の南大阪は、最低気温が3℃、最高気温は17℃まで上がりました。
ぽかぽかと暖かな快晴に恵まれて、ソメイヨシノも一斉に咲きほころびはじめました。
写真は南大阪の住宅地小公園の桜です。
 

荒山公園梅林

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 3月 8日(木)11時25分26秒
返信・引用
  3月4日の日曜日、堺泉北の荒山公園に梅の花見に行ってきました。
この公園は、もと多治速比売神社の敷地だったそうです。
この日は好天に恵まれて、ぽかぽかと暖かく絶好の花見日和でした。
園内は、たこ焼屋さん、アイスクリン屋さんなどの屋台も出て大いに繁盛していました。

●撮影:3月4日 カメラ/FUJIFILM X10
 

越前国敦賀郡

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 2月23日(金)09時48分26秒
返信・引用
  加賀では永平寺に参詣して、その後は越前の氣比神宮に参拝しました。
永平寺も氣比神宮も私は二度目のお参りでしたが、雪景色に遭遇するのは初めてでした。

●写真[上]永平寺境内入口の石塔
●写真[中]同上境内参道横の小川
●写真[下]越前国敦賀郡の氣比神宮
 

加賀国江沼郡

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 2月22日(木)13時12分54秒
返信・引用
  大阪駅から雷鳥に乗って雪国に向かいました。
湖北地域には、先日来の大雪の名残が所々に見受けられます。
琵琶湖を過ぎて大きなトンネルを二つばかり通リ過ぎると、もう辺り一面に銀世界が広がっています。
加賀温泉駅で下車して、まず粟津温泉に行きました。
ここは有名な加賀四湯と呼ばれる温泉郷の一つだそうです。

●写真[上]法師旅館・玄関
●写真[中]玄関前、前田利常公お手植えの“黄門杉”
●写真[下]8階客室からすぐ南側に見える、白山神社の社叢
 

住吉大社初詣

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 2月 4日(日)22時59分54秒
返信・引用
  今年の住吉っさんへの初詣は、本日2月4日の立春にしました。
境内入口の案内看板で知ったのですが、今日2月4日は「卯之日祭」でした。
そして明日2月5日は「初辰祭」です。
「南珺社 初辰まいり」の赤い幟を見て正面参道を通り、まず手水舎に立ち寄りました。
手水鉢の水口は神兎の石像で、これは住吉大社の御鎮座が神功皇后摂政十一年、辛卯年卯月卯日に因む御縁で奉納されたものだそうです。
手水の後は、まず第一本宮、第二本宮、第三本宮の順で参拝。そして第四本宮で簡単な祝詞を奏上しました。

ところで私は、住吉神社に大いに御縁を感じております。
故郷の産土さん、現住所の氏神さん、そして結婚式を挙げた住吉大社さんの、合わせて三神社にです。
御祭神は住吉三神と神功皇后で、上記三社共お祭りしている神様がまったく同じだからです。
そのような訳で、初詣は毎年正月三箇日に全て参詣するようにしています。
ところが今年は住吉っさんにお参りしていなくて、今日初めての参拝となりました。

●写 真: ①境内入口/②境内案内図/③手水鉢の神兎
 

Re: 「やさか 」から八坂神社を連想

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 1月26日(金)10時37分51秒
返信・引用
  > 大麻山・彌榮神社(いやさかじんじゃ)と読むそうだ。

そうですね。「彌榮」は、弥栄の旧字体ですね。「八坂」あるいは「八阪」とも表記するようです。
 

「やさか 」から八坂神社を連想

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 1月24日(水)07時26分34秒
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   神社
大麻山・彌榮神社(いやさかじんじゃ)と読むそうだ。故人の三浦尚さんが島根県立大学の聞き取り調査(インタビユー)での回答である。浜田市三隅町大字井野の三浦家は、代々廻船問屋だそうで。あの高杉晋作の騎兵隊へもお金の援助をしたとのこと。世界最初の缶コーヒーもこの家がてがけたもの。「花神」の司馬遼太郎氏も井野の地に来られ面談されたと聞く。
 ここからは私の仮説であるが、663年に「三瓶山」が大噴火して中国地方全域が焼失してしまった。渡り鳥が越冬の為、大陸より木の実をほうばり、高島や大麻山で休息したとき、種を落し、ほんの少しの緑が宿ったと考える。品種としては、秦の始皇帝が探させた。「不老不死」秘薬原料・実「ナシカズラ」「ハマヒサカキ」紙漉きの原料「楮こうぞ」の木。
 高島と大麻山を結ぶライン。こと三隅川。「スサノヲ」を名乗る若者が、高島、八曾(やそ)、大麻山へと順序よく、「鬱陵島」の杉の苗木を植樹した。人々は感謝して小さな社を建立したのが、高島の「祇園」社、八曾の「彌榮」社、大麻山の「彌榮」社。この後、「江の川」を下り海へ出た人々が目にした「緑」へ入植するのは、当然のことであり、「田の浦~八曾」へ和邇族。「小野」へ小野族。
「大麻山」へ牟婁物部族(むろもののべぞく),阿波忌部族(あわいんべぞく)。「大麻山のたたらの大穴」で生き延びた鬼刀禰族(おおとねぞく)が存在し、「緑の地」を求め争った。
 行基や人麻呂、不比等は古事記、日本書紀、出雲風土記、万葉集を書き遺したが、「墨」倹約の為に「文字」を変換した。
鬼おおー>大おお。 雨あまー>天あま。読みがわからないが、龍ー>神。穴なかー>中なか。門とー>戸と(尺のうえは「’」)。読みがわからないが、彌榮ー>八坂。
「墨」の造り方。木材を燃やし「すす」を集め(植物の汁)で固めてつくる。この時代、①火つけ石が普及していない。②材木が十分にない。紙漉きと墨造りではどちらが楽で、どんなに「墨」が貴重品であったかわかる。不思議なのは、平城宮跡よりある時代から異常に多くの木簡が発掘された。「やらせ」と思われる。

 
 

Re: やさか掲示板をみて

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 1月23日(火)21時16分26秒
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  > No.365[元記事へ]

chikaraさん、ようこそ

> 「石見掲示板」に投稿。
> 島根県・邑南町図書館の河瀬文庫を紹介しています。

「石見百景掲示板」ですね。ざっと拝見しました。
書き込みありがとうございます。
 

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