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日光東照宮

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 7月31日(水)15時50分4秒
返信・引用
  日光東照宮に初めて参詣してきました。

●写真上:日光山輪王寺本堂三佛堂
 写真中:東照宮
 写真下:同上「眠り猫」
 

令和元年の丹生川上

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 6月 1日(土)23時17分44秒
返信・引用
  令和時代幕開けの年、丹生川上神社下社の例祭に参列いたしました。
今年の例祭は、丹生川上神社にとりまして実に記念すべき年になったと思います。
例祭当日の今日6月1日は清々しい青空の土曜日で、境内は大勢の参列者で溢れていました。特別に用意された大駐車場も、例祭が斎行される午前10時前には満車状態になって、いかに丹生の川上神社が世間様の注目を集めているか改めて感じられました。

時あたかも徳仁天皇さまが御即位なされた御年。
この記念の年の初めに、丹生川上の天に繋がる階(きざはし)が新調され、朱も鮮やかに新設なった大鳥居と共に、一般にもお披露目されたことは実に感動的なことでした。氏子ならずとも境内にいた全員が感動したと思います。
境内の白黒の神馬たちも明るい日差しの中、砂場で転げまわって喜びを全身で表しているかのようでした。

●写真は丹生川上神社下社例祭当日の景色(クリック拡大してごらんください)
 

新緑の吉野山

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 5月 4日(土)12時42分47秒
返信・引用
  令和元年5月3日、吉野山に行ってきました。
新緑に萌える吉野は大勢の観光客が押し寄せ、午前中に下千本の駐車場は満車になりました。
写真は、吉野山から見る北方の山々、下千本駐車場、勝手神社跡
 

サクラにちなんで

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 4月 2日(火)08時55分40秒
返信・引用
  サクラにちなんで忘れられない歌があります。
それは、「みどりの雨」作詩:丘灯至夫 作曲:古関祐而による昭和28年の藤山一郎の唄です。
昭和35年の春、中学校の修学旅行で東京方面に行き、バスで箱根ドライブウェーを通った時、
バスガール?さんが歌ってくれた唄で、今でもはっきりと思いだします。

1 夢を結んだ あの芦ノ湖に
  浮かぶボートの 懐かしさ
  カラーフィルムに 残した君よ
  ああ 思い出の
  箱根に みどりの 雨が降る

2 ゴルフ帰りの セダンが走る
  乙女峠に ほろほろと
  散り行く花よ 白山桜
  ああ 美わしの
  箱根に みどりの 雨が降る

3 宿の小鳥も 別れを惜しむ
  登山電車に 昼の雨
  湯けむり淡く さよならさらば
  ああ ロマンスの
  箱根に みどりの 雨が降る

●youtubeです。以下のアドレスをクリックしてお聞きください。

https://www.youtube.com/watch?v=GcHyU8k0ofE

 

シロヤマザクラ本日開花!

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 4月 1日(月)18時06分49秒
返信・引用
  五條市西吉野町賀名生の里へ「シロヤマザクラ」の花見に行ってきました。
この桜はオオヤマザクラともいう山桜の一種だそうですが、かの有名なソメイヨシノのような、狂ったように咲き誇る派手さはなく、ひっそりと淡い色で咲いていました。
この賀名生の里には、歴史民俗資料館や南朝の皇居址の堀家住宅、賀名生梅林などがありますが、私はこの地へ春に来ると、必ずと言っていいほど親房公の墓に参拝します。
その度に思いだすのは北畠親房研究の第一人者、皇学館大学の白山芳太郎教授です。
神道学専攻科で学んでいた折に、一方ならずお世話になったからです。
あらためて御礼申し上げたいと思います。

●写真(上):賀名生皇居跡・堀家住宅越しに見える丹生川
 写真(中):開花始めたシロヤマザクラ
 写真(下):「贈正一位北畠親房公之墳墓」と刻まれている親房公墓
 

ソメイヨシノ本日開花!

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月28日(木)17時56分32秒
返信・引用
  河内長野のソメイヨシノが本日開花しました。

●写真は、大阪府河内長野市・住宅地内公園のソメイヨシノ
 

白浜の熊猫さん母子

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月26日(火)21時47分29秒
返信・引用
  白浜アドベンチャーワールドの「彩浜(さいひん)」を見てきました。
昨年8月14日に生まれたパンダの女の子です。
今日はとても天気が良かったので、北国で暮らすパンダにとっては暑いのでしょうか、
扇風機でミストシャワーを浴びせてもらって、元気一杯にママパンダと遊んでいました。
 

コシノヒガン本日開花!

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月24日(日)22時30分45秒
返信・引用
  前記記事訂正
前記記事の内エドヒガンは誤記で、正しくはコシノヒガンでした。
すみません。お詫びして訂正しておきます。

×エドヒガン
○コシノヒガン
 

エドヒガン本日開花!

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月24日(日)18時30分47秒
返信・引用
  大阪狭山市、狭山池公園のエドヒガンが本日開花しました。
大阪のソメイヨシノの開花は一週間ばかり後の4月1日前後となるでしょう。
四月一日には新元号が発表されて、五月一日から施行されるとのことです。
どのような元号名になるのか、大変興味がもたれます。

●写真(上)開花したばかりのエドヒガン越しに見る「狭山池博物館}
●写真(下)南西岸から見渡す狭山池全景
 

イハト成るとは

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月10日(日)12時37分12秒
返信・引用
  「平成」の元号を分解すると、
「一ハ十成」となることは前にも書きました。
岡本天明が自動書記したとされる『日月神示』には、
「火と水で岩戸開くぞ」とか
「富士は晴れたり 岩戸開けたり」というような文言が示されているようです。
もうすぐ平成の時代は終焉を迎えますが、ここで言うところの「岩戸成る」とは、
平成の元号に込められた呪(じゅ)、言霊(ことだま)が成就するということでしょうか。
では、それは何時成就するというのでしょうか。
平成時代が終わるまでに成就するというのでは、あまりにも時間が切迫しています。

『完訳 日月神示(上巻)』には、以下のように記されています。
「第十三帖」
「空に変わりたこと現れたなれば、地に変わりたことがあると心得よ、いよいよとなりて来ているのざぞ」…中略…「天の異変気つけておれよ」以上

火と水による地球的規模の、大天変地異でないことを祈りたいと思います。
 

まんだら湯

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月 5日(火)07時31分42秒
返信・引用
  50年ぶりに城崎温泉に行き、老舗の純和風旅館に泊まりました。
庭木は丁寧に雪吊りをして、被害対策をとっていましたが、今年は一度も雪が積もらなかったそうです。
雪に囲まれた中で温泉情緒を満喫して、カニを食べたいと思っていたのですが、
今年は暖冬とかで雪には遭遇できませんでした。
でもカニは大満足できましたし、温泉地の情緒も楽しむことができました。

写真(上):まんだら湯(城崎温泉)の中心地、木屋町。
写真(中):客室から見る雪囲いされた中庭。
写真(下):エレベーターの無い老舗旅館

 

ヤマトや桜

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 3月 1日(金)10時45分50秒
返信・引用
  下のURLをクリックしてください。唄がながれます。

♪ヤマトは神の ヤマトは神のつくりし国なれば
 ヤマトやよし ヤマトや桜 ヤマトは今春のさかり ヤマタイの国
 ………
 ………
 ………
♪桜やうれし 奈良に桜の咲く春に 神の来る日
 その日なれば 奈良に集え 奈良に集いて
 語りあかさん はるばる 桜の春やよし♪

 ●ひかりの会/丸谷祥雲 唄:「ヤマトや桜」

http://hikarion.sakura.ne.jp/hikarinokai/reigen1.html

 

耳をすませば(3)

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 2月25日(月)18時29分49秒
返信・引用
  耳をすませば、
私には師の山内光雲の唄声が聞こえて来ます。
「星よ星よ七つ星よ」というツタンカーメン預言歌です。
ここで言う所のツタンカーメンは、1922年に「王家の谷」で発掘された、前14世紀エジプト第18王朝の「悲劇の少年王」とは直接の関係はありません。

●ひかりの会・創始者/山内光雲 唄:「星よ星よ七つ星よ」

http://hikarion.sakura.ne.jp/hikarinokai/reigen3.html

 

耳をすませば(2)

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 2月25日(月)17時20分32秒
返信・引用
  耳をすませば、
戦争や戦争の噂が聞こえてきませんか?
また、軍靴の音や武器の擦れ合う音を耳にしませんか?
日本を取り巻く森羅万象に異変は認められませんか?

平成とは「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」の『史記』あるいは『書経』から引いて採られたともいう年号です。
その平成という年号もあと2か月余りで改元されることに決まっています。
前にも書きましたが平成の文字を分解すると、一ハ十成(岩戸成/いわとなる)と分解できます。
改元まで残り僅か60日位になり、この60日位の内に「イハトナル」の神業が成就するともいいます。
…と言う事は、この先想像を絶するような大災害が日本を襲い、それが世界中に拡大されると言う事になります。
それが自然災害とすれば、それはカミワザ。「火水業」と文字を当てれば、
それは火山噴火又は地震によって引き起こされる大火災か大水害が想定されます。
考えられるのは南海トラフ大地震と富士山の大噴火だ。
何事もなく、静かに新元号のもと、真に平和な時代を迎えたいものだと、切に思うものです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『舊新約聖書』/日本聖書協会1975 舊約聖書51P~52Pより引用/ マタイ伝第24章

…又なんぢら戦争と戦争の噂とを聞かん、愼みて懼(おそる)るな、斯かる事はあるべきなり、然れど未だ終にはあらず。即ち「民は民に、國は國に逆らいて起たん」また處々に飢饉と地震とあらん、此等は産(うみ)の苦難(くるしみ)の始なり…
…これらの日の患難ののち直ちに日は暗く月は光を發たず星は空より隕ち、天の萬象、ふるひ動かん。そのとき人の子の兆し、天に現れん。そのとき地上の諸族みな嘆き、かつ人の子の能力(ちから)と大いなる榮光とをもて天の雲に乗り来るを見ん。
 

耳をすませば(1)

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 2月25日(月)16時16分0秒
返信・引用
  耳をすませば、
紺色のうねりが我が日本列島に押し寄せてくる音が聞こえるような気がしませんか?
作詞:宮﨑駿・宮崎吾朗、作曲:谷山浩子 原詩:宮沢賢治 の手嶌葵が歌う
ジブリアニメ『コクリコ坂から』の挿入歌「紺色のうねりが」の曲は素晴らしい。
研ぎ澄まされた詩人(宮沢賢治、宮崎駿)の霊的感性には未来が写っているのでしょうか?
卓越した詩人の霊性が、作曲者や歌手の能力をも最大にひきだすのでしょうか。


これはしかし…、この歌詞には大変恐ろしい内容が含まれていると、私には思えてなりません。

https://www.youtube.com/watch?v=HHUuuWRUIWk

 

熱田大神

 投稿者:やさか  投稿日:2019年 1月30日(水)22時49分24秒
返信・引用
  熱田大神(あつたのおおかみ)とは、
熱田神宮宮庁発行パンフレットの「由緒」によりますと、
「御祭神の熱田大神とは、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)とされる天照大神のことです」と説明されています。
このように熱田神宮は、三種神器の一つ「草薙神剣」をお祀りする旧官幣大社です。

この熱田神宮で、平成31年の神社史研究会、新年参拝と今年初めて例会が催されました。
神宮東門前に集合して、まず御垣内正式参拝。
会館に移って皇學館大学白山教授「熱田神宮とその神事」の講話。
その後は境内を巡拝して、夕方からは駅前の居酒屋へ移動し新年会がありました。

●熱田神宮・境内の部分写真
写真【上】こころの小径の案内表示
写真【中】熱田大空襲で生き残った楠の大木の内の一本
写真【下】本宮裏参拝所
 

年の暮れ 丹生川上神社

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月21日(金)19時53分9秒
返信・引用
  平成時代最後の年末は、丹生川上神社下社に参拝しました。
久しぶりの参詣でしたが、白と黒の神馬たちは今日の暖かい日を浴びて、以前に変わらず元気そうでした。
久しぶりの境内で、まず目についたのは真新しい赤の大鳥居でした。
門松もすでに設えてあって、年末年始の準備も万端と見受けられました。
工事中の階(きざはし)も完成に向けて鋭意進められているようです。

本日は残念ながら宮司さんにはお目にかかれませんでしたが、
お聞きしましたところ来年の6月1日例祭の折には登段初めができるとのことでした。
新年号と共に生まれかわる新生「丹生川上神社」のお姿を拝見するのが楽しみです。
 

スマホとfacebook

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月17日(月)09時13分45秒
返信・引用
  スマホを使い始めて半月ばかり経ちました。
先頃それで、facebookも登録をしました。
ところが、スマホもFaceBookも私は苦手です。
どちらも思うに任せず、どうも手に負えません。
それで、facebookからは離れようと思います。
スマホはこのまま持つつもりですが、当分の間は限定して利用しようと思っています。
もし私にご用の折には、従前どおりのメールでお願いいたします。

facebookでは当方から申し入れて、お付き合い下さったのに身勝手ですみません。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 

スマホ、デビュー

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月16日(日)12時08分2秒
返信・引用
  今時スマホデビューなんて遅すぎて笑われそうです。
スマホは全く別物なんですね。
ガラケーとはまったく違う。
それで、facebookも登録したのですが応答の仕方がほとんど分かりません。
スマホの操作自体もよく解らず、「知り合いかも」で何人かの方に失礼してしまったかも知れません。
どうもすみません。
スマホの操作が理解出来ていないところに、facebook自体の応答の要領が良く理解できていないのです。
スマホでうまく表現や応答ができないので、こちらの掲示板にでも書いてお詫びしておきます。
 

平成時代の終焉

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月12日(水)20時20分7秒
返信・引用
  平成時代最後の参詣になると思い、東京へ行ってきました。
まず初日は靖国神社に参拝して、翌日は明治神宮にも参拝しました。
せっかく東京に来たので、まだ日本一高い展望台に上がっていなかった、あのスカイツリーにも登楼してきました。
久しぶりに行った東京で私が印象に残ったのは、いつもと同じ東京駅のたたずまいでした。
あの赤煉瓦作りの駅舎は、存在感たっぷりで、何時もしばし佇んで見惚れます。

渋谷駅間近のホテルに宿泊したのですが、10階の窓から見下ろす街並みは美しく、電飾球が煌いていました。
以外だったのは、街歩きの人々が想像していた以上に少ない事です。
街歩きの人々が早々と減ってゆくのです。
東京有数の繁華街だというのに、夜十時にもなれば殆んど人通りが無くなってしまいます。
あまりにも天候が急に変わって、寒さが身に凍みるようになったからでしょうか。
飲食店は、ほぼ満席のようなので、各々がお気に入りのお店で楽しんでいるのでしょう。

●写真は 【上】靖国神社
      【中】Solamachi スカイツリー
      【下】明治神宮
 

丹生都比売神社

 投稿者:やさか  投稿日:2018年12月 6日(木)09時33分20秒
返信・引用
  久しぶりに(10年ぶり位)丹生都比売神社に参詣しました。

写真「上」は、手水舎水盤です。清冽な水がたっぷりと注がれていて感動します。
近頃は水を節約するためか、多くの神社で水が止められていたり、糸のように絞られた僅かの水しか出していない所が多いようです。
その点この丹生都比売神社のある伊都郡天野盆地は、水が豊富なようで水がふんだんに使えるようです。
でも決して無駄使いをしているのではなく、鯉のいる池に入れるなど自然に戻しているので安心です。
ところで、この水盤に刻まれている巴紋ですが、これは「右三つ巴」ですね?
まるい頭の部分が右側で、左に尾を流して右回転のように見受けられるので、
これは私は右三つ巴と見るのですが、神社によってはこれを「左三つ巴」と呼ぶむきもあるようです。
たしかに、神様側から垂れ幕を見ると(つまり裏側から見ると)左巻きに見えます。
さてどちらが正しいのでしょうか?。
どなたか教えていただけませんか。
ちなみに丹生都比売神社の神紋は「左三つ巴」といわれていたようです。

写真「下」は、真新しいノコギリあとの檜か彬の切り株です。
境内の片隅に、すでに割木にして積み上げられていました。
きっと年末・年始の「とんど」の焚火としてつかわれるのでしょう。
あるいは「あまざけ」を煮る薪としてつかわれるのかもしれませんね。
 

巷の神々/霊能者について

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月27日(火)12時34分1秒
返信・引用
  霊能者とは『広辞苑』によれば、
「日常の世界と神霊の世界とを結びつける資質を持った宗教的職能者。預言者・シャーマン・霊媒など。」と説明されています。
平成の現代においても、街中の占い師、テレビにも出演するような有名な占い師から、新興宗教の教祖に至るまで、霊的能力を自称する人たちが多く居ます。
ところが本当に心霊と交信できる霊能を持った「ほんもの」は殆んどいないと言ってもいいと思います。
そこで、多くの新興宗教の門をくぐり、信者として実地に体験した筆者の経験から、本物と感じられた人物をあげてみたいと思います。

●霊能者との出逢い体験

①昭和25・26年頃の拝屋(おがみや)さん:吉野郡湯川蔵王堂民家老人(名前不詳)
 癇性が強過ぎるので治そうと、筆者が五歳前後の幼年期に母親が連れて行って治療してもらった。
【治療方法】左掌(ひだりのてのひら)へ、筆に墨を付けて渦巻模様を描き、
 呪文を唱えて癇虫(かんむし)を追い出すというような説明の後、その呪術を行う。
(親指を除く4本の指先からウジ虫のような白い虫が上り立って出て行った。)
 この拝み屋さんで(かんむし)を除いてもらったと母親は言っていた。

②昭和30年前後、辨天宗大和本部・宗祖さん:
 筆者が10歳頃、両眼が充血して、よく眼が見えなくなって、いつまでも治らなかった時、
 母親が五條へ連れて行き、宗祖さんに面談して薬草を処方してもらって完治した。
 それ以前、母親も婦人病を完治させていただいている。

③平成9年、ひかりの会・山内光雲さん:
 筆者52歳の時、姉の紹介により、高槻の事務所で山内光雲(本名:山内昌)氏に初めて会った。
 まったく驚きの出逢いだった。
 あらかじめ自筆で書いて出していた紙片(氏名と年齢のみ)を見て、氏は悉く言い当てた。
 まず配偶者のこと、娘のこと。そして前世のことである。
 ただし前世のことは、本当の事かどうか確認のしようがない。
 確認のしようは無いが、思い当たることや、確信できることが多くあった。
 氏は大阪大学薬学部卒業の薬剤師であり、多くの実用新案特許を持つ発明家である。
 また、「ひかりの会」創立者で、初代会長でもある。
 この山内光雲(故人)こそ真の霊能者と呼ぶに相応しいと思う。
 

吉野川と大和五條

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月17日(土)11時19分30秒
返信・引用
  奈良県五條市は、古く大和国宇智郡だった頃、広く世間に知られていたのは、
藤原武智麻呂が719年に開創したと伝わる栄山寺である。
平安時代には、弘法大師空海が同じ宇智郡犬飼で狩場明神と出逢って、高野山開創の道筋を得たことが知られる。
近世に至っては幕末の頃、倒幕の先駆けとして天誅組が襲撃をかけたのが五條代官所で、
その初めての本陣が設けられたのも五條の桜井寺だった。
昭和に入ってからのいわゆる戦後は、五條高校が女子水泳競技で10連勝するなど、水泳で全国的に有名になった。
吉野川の清流で泳ぎを覚えた少年少女が、五條高校へ進学して水泳部に入り全国的に名をあげたのだ。
その他のスポーツでは、辨天宗にゆかりの智辯学園高校と、智辯学園和歌山高校が
野球の強豪校として全国的に知られており、春・夏の高校野球の上位常連校である。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
宗教法人辨天宗/平成14年9月25日設立登記
宗祖/大森智辯
初代管長/大森智祥
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

●筆者やさか追記:

①この「弁天さん」に係る一連の記事は、政治家であり作家でもある石原慎太郎氏が、
昭和42年9月に上梓した『巷の神々』/サンケイ新聞出版局/を参考にしている。
この本は全1210枚にも及ぶ大著で、その内27枚位が辨天宗宗祖のことを書いている。その中で氏は
「天の大きな恩寵を受けた人間、ということで、教祖というものの性格は大同小異といえるが、
現実にその人自身の口からその経緯を聞かされ、その人の行った超現実的なものごとを目にするのは、なんとも興味深い。
その点、辨天宗祖大森智弁は、私が教祖自身の活躍中にじかに面談出来た一人であって、
茨木で彼女の話を聞いて過ごした一夜は、私にとって甚だ興味深いものだった」と記している。

②実のところ、筆者も智辯宗祖に直にお会い出来た一人である。
10歳前後の子供の頃、何の病か目を患って良く見えないようになったことがあった。
「弁天さん(母はいつもそうお呼びした)に診てもらおう」と、母は私を連れて五條へ行った。順番が来て母と私は宗祖の弁天さんの座机の前に座った。
弁天さんと母がどのような話をしたかは覚えていない。
弁天さんは目の前で、薬草の様なものを手で捏ねておられた。
その団子を、傍らの一人の青年が、私の左手首の内側に押しつけて、包帯で巻いてくれた。
後で母から「あの人が弁天さんの息子さんやで」と聞かされた。
あくる日に包帯を取ると、手首に腕時計大の水ぶくれが出来ていた。
「毒を集めた水なので、それを捨てると治りますよ」
と、あらかじめ聞いていたので、全く痛くもなく何の心配もしなかった。
結果的にこれで私の眼病は完治した。以降、眼医者の世話になったことはない。

③この記事はまた、辨天宗・宗務庁発行の宗祖自伝『生命の水』を大いに参考とした。
そして収載されていた写真も転写・転載させていただいている。謹んで御礼申し上げたい。
「ありがとうございました」

●写真の吉野川は西流して橋本市にはいると「紀の川」と名を変える。
 

吉野川(続・走り弁天)

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月16日(金)17時25分0秒
返信・引用
  やがて清子は夫の大森智祥と大師堂を出て、五條市野原町の十輪寺の住職夫婦として移り住みました。
智祥は住職として大師堂との兼務にいそしみ、清子は妻として家事の全般から檀家の家庭の相談相手まで、毎日を忙しくつとめていました。
子供にもめぐまれて、檀家からも羨ましがられるような日々をおくっていた清子でしたが、
次男が生まれたあたりから、なんとなく身体の不調の日々が続きました。
これといった原因が分からないうちに、肩が凝り手足が痛み、働き者の清子でも苦痛を訴えて起き上がれない日が続きました。
近所の医者で看てもらっても分からず、智祥はうろたえて大阪医大まで清子を連れて行ったこともありましたが、
納得のいく回答は得られませんでした。

あるとき近所の古老が「この寺には辨財天さんが一体いやはるはずや」
と言いだした事から、境内建物の隅々や物置の奥まで改めてみました。
すると境内の古い祠の中から、両手が肩のあたりからもげ落ち、埃にまみれて薄黒く汚れた、
紛れもなく辨財天の木像が片隅にころがっていました。
更に本堂の床下からも、護摩の灰でつくった小さな辨財天の像があらわれました。
この像は空海の作であり、木像は行基の作でした。
ただちに祠は清掃し、木像は修理に出し、護摩灰像も手入れして鄭重にお祭りしました。
すると清子の病気は全快しました。
この頃から清子は辨財天像と一体化したかのように、霊能力を併せて持つようになっていきました。
幼少の頃からも他の子供たちとは違う不思議な力を持った清子でしたが、
辨財天像を見つけてお祭りした頃からより一層その靈能力が開花したようでした。
まず近所の長屋に住む檀家の主人と長男の病気を、的確な指示で全快させました。
次は吉野郡白銀村の婦人の業病をぬぐい去りました。
多くの病気の原因は、先祖代々からの深い因縁よるものだと清子は言います。
辨天宗宗祖伝『生命の水』によれば、
「こうしてこの年、昭和9年を境に、清子の平凡な妻、母としての生活は、自分の意志をこえた大いなる意志の力によって押し流され、一宗の宗祖、うつし身の神としての生涯へ転換したのである。」と記されています。
そして信者は五條市野原から徐々に広がって行きました。
たちまち周辺の市町村にも、その評判は伝わります。
増え続ける信者は、宗祖大森智辯の神示を求めて殺到しました。
列車が国鉄和歌山線五条駅に到着すると、信者は一刻も早く宗祖に面談してもらいたくて、
野原町の十輪寺に向かって一斉に駆け出すのでした。
その事から「走り辨天」と人々が言い始めたのです。

●写真は 【上】十輪寺山門の寺銘板
    【中】辨天宗総本山如意寺(大和本部)
    【下】大和本部節分祭での風景(『生命の水』宗祖伝記より転写)
       中央に宗祖ご夫妻。向かって左から女優の浪花千栄子、清川虹子、右に島倉千代子の各氏
 

吉野川 (続五條)

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月15日(木)10時44分57秒
返信・引用
  …前文からの続きです…
故郷飯貝の実家に戻った清子は、妹らと共に家事手伝いをして過ごしていました。
請われれば近隣の旧家や商家へ行儀見習いを兼ねた、手伝い奉公にも出ました。
彼女の周りには不思議と人が集まりました。
清子が店番をしていると、店に花が咲いたような陽気になって客が次々と増えていくのでした。
昭和の時代に入り清子が19歳になった頃、母親スエの強引な薦めで見合いをさせられたことがありました。
この時清子は当時の風習からしても、見合いなどすると結局は結婚させられると恐れて家出をしました。
その時は自殺するのではないかと村中が大騒ぎをして吉野川の川筋を探し回るような事件をおこしましたが、
この時は対岸上市の叔母の家に遁れて難なきを得ました。
叔母の吉井けいは、吉野上市「大師堂」の有力な檀家でした。
この大師堂の修行僧が、後に五條の十輪寺住職となり、清子と結婚することになる大森智祥だったのです。
清子が20歳になる昭和4年の年があけた時、上市の叔母の吉井けいが清子の家に来て
「大師堂の智祥はんがお前をヨメにもらいたい言わはるんやけど…」と言ったそうです。
吉井けいは智祥に、おおいにほれこんでいたのです。
清子も智祥の名は知っていたし、道ですれちがったこともあり、
評判も聞いて好感をもっていたので反対する理由はなにもなかったのでした。
その年の7月、智祥と清子は結婚式をあげました。村中が祝意を寄せた婚礼だったと言います。

●写真は/クリックで大きくなります---------------------------------
【上】吉野川/対岸が十輪寺のある五條市野原町(大川橋北詰より撮影)
【下】高野山真言宗 杖桜山十輪寺

 

吉野川(続)

 投稿者:やさか  投稿日:2018年11月12日(月)08時16分53秒
返信・引用
  近鉄吉野線・上市駅の吉野川を挟んだ対岸に、六雄山・本善寺があります。
ここは蓮如上人ゆかりの浄土真宗の名刹です。
また桜の名所でもあり、毎年3月末ごろに満開となる樹齢300年のエドヒガンは見事な花を咲かせることで有名です。
飯貝御坊とも言われているこの寺は、吉野郡吉野町飯貝にあって、この地は『記・紀』で語られているところの井光(井氷鹿)伝承地でもあります。
またこの「飯貝の里」は、辨天宗宗祖、智辯尊女こと大森清子氏(旧姓吉井)の出身地です。
大森清子について-----------
清子は、明治42年(1909)4月1日、奈良県吉野郡吉野村飯貝に生まれました。
生家の吉井家は本善寺の有力な檀家だったようですが、当時盛んであった養蚕業の取引で当主の吉井重吉が失敗をして、清子が幼少の頃は家計が豊かではなかったようです。
幼少の頃から数々の奇跡的な行いが伝えられている清子ですが、13歳の頃、家計を助ける為に自分から進んで働きに出ると言いだし、後に「女工哀史」とうたわれたほど過酷な労働を課す製糸工場へ年季奉公に出たのでした。
その製糸工場でも清子は生来の負けじ魂を発揮して、たちまち生糸紡ぎの技術を自分のものにし、抜群の成績をあげて表彰を受けたこともあるという。
様々な苦悩の体験を乗り越えて、家の負債を整理し家計の危機を切り抜けて、清子はやっとのことで生まれ故郷の吉野町飯貝へ戻ってきたのでした。

●写真は
【上】:上市駅南側、本善寺前の吉野川
【中】:六雄山本善寺・山門
【下】:六雄山本善寺・本堂
 

吉野川

 投稿者:やさか  投稿日:2018年10月18日(木)18時25分49秒
返信・引用
  久しぶりに五條市滝町に行きました。
滝町は、あの丹生川上神社祠官、橋本若狭の生地です。
この辺りの吉野川は、昔とほとんど変わらず美しい水が豊かに流れていましたが、
子供の頃の記憶にある水辺まで近づけないのです。

昭和30年代中頃は、子供たちは水辺で遊び、吉野林業で潤っていた吉野の旦那衆は、
屋形船でこの辺りから芸者を連れて乗船、すぐ下流の栄山寺前の通称音無川を通過し、
五條から橋本まで川遊びをしていました。

今はほとんど誰もが川筋に近づかないのか、雑木や竹藪が生繁り通り道すら無くなっています。
水辺まで降りる道を探していると、一軒の農家前でご夫婦に逢い、川へ下る道まで案内してくださったのですが、とても通れそうな道ではありませんでした。

●写真は、滝町の吉野川、ご夫婦が飼っておられる毛並みのとても美しいネコ、近くの龍光寺・空海像。
 

雛型経綸

 投稿者:やさか  投稿日:2018年10月 4日(木)13時51分54秒
返信・引用
  戦前の「皇道大本」には、雛型経綸(日本は世界の雛型、日本にあったことは世界に移写する)という教えがあった。
今日本は、自然の大災害に次々と見舞われていて、自然災害の活性期の真最中のようである。
日本に起きた災害が世界に向かって拡大するとなると、この後世界には次々と災害が襲い掛かることになる。
つい先日も日本にあった津波と同じような自然災害が、事実マレーシアを襲った。
時あたかも今は平成時代。
平成とは「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」の『史記』あるいは『書経』から引いて採られたともいう年号である。
その平成という年号もあと半年余りで改元されることに決まっている。
平成の文字を分解すると、一ハ十成(岩戸成/いわとなる)と分解できる。
改元まで残り僅か半年である。この半年の内に「イハトナル」の神業が成就するともいう。
…と言う事は、この先想像を絶するような大災害が日本を襲い、それが世界中に拡大されると言う事になる。
それが自然災害とすれば、それはカミワザ。
「火水業」と文字を当てれば、それは火山噴火又は地震によって引き起こされる大火災か大水害が想定される。
考えられるのは南海トラフ大地震と富士山の大噴火だ。
こうした自然の大災害が世界に移写されるとなると大変な事となる。
世界各地で火山が次々と噴火を始め、極めつきにはアメリカ・イエローストーン公園のスーパー火山が64万年ぶりの大噴火を起こすかも知れない。
このスーパー火山が噴火すると北アメリカ大陸は壊滅してしまう。
そうなれば世界に君臨する現代のローマ帝国、アメリカは世界から消えてしまい、現代世界の勢力図が一変するだろう。
その後どのような世界がこの世に現出するのだろうか?
それは千年王国の始まりかも知れない。

●以下の預言歌を参照ください
星よ星よ 七つ星よ (ツタンカーメン預言歌)歌 山内光雲
http://www.yasaka.org/YAMATO/tutanc1.html
 

伝統の老舗旅館

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 9月25日(火)13時56分5秒
返信・引用
  三朝温泉に行きました。
旅館から歩いてすぐの三朝神社に参拝。
なんとこの神社は、手水に温泉を使っていました。
湯温は、たぶん40℃近くもあるかと思えるほどの温かさでした。
ぜいたくな掛流しで、今まで何社もの神社に参詣していますが、このような神社は初めてです。
また神社の近くでは、黒と黒虎の二匹のネコちゃんが近寄って来てくれました。

●写真は依山楼岩崎とネコちゃん
●三朝神社:www.yasaka.org/kamigami/misasajinja.html
 

後夜聞佛法僧鳥

 投稿者:やさか  投稿日:2018年 9月 7日(金)15時38分51秒
返信・引用
  夜明けに仏法僧鳥を聞く ―空海―
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閑林に独坐す 草堂の暁
三宝の声 一鳥に聞く
一鳥声有り 人こころ有り
声心雲水 ともに了了
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『空海/三教指帰』加藤誠一訳には、次の説明が付けられています。

「コノハズクの啼き声は仏法僧という仏教で最も大切な三宝をあらわしている。
鳥の声もそれを聞いている自分の心も、流れる雲も逝く水も、大日如来の活動そのものではないかと嘆じている」
 

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