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山内光雲のこと
平成9年八月のある日私、巖は山内光雲師から歌を授かった。
それは初めてお会いした時だった。師はのっけから、「君は歌が好きだろう」と言われた。
はい好きです、と私が答えると、
「歌の好きな人に会うと音楽が聞こえてくる」と話を続けられた。
「私は長年、薬漬けになるほどの闘病生活を続けた。そしてふとしたことから神様の声が聞こえるようになり、お手伝いをするようになった。
それで人には過去世がある事を知った」師は言葉を続けられた。
「私達は男だったり女だったりして、この世に生まれ変わり生活をする。大体200年ぐらいの周期でこの世に生まれ変わる。およそこの世で1 00年、あの世で100年という具合である。そしてこの世では、苦しみ、泣き、笑い、喜びして生きる」
幸せとはどういうことか?苦しみが無ければ幸せかどうか?
ボケ老人になれば何の苦も無く、福祉の整った現代ではみんな人がしてくれる。はたしてこれが幸せか?それは死ねと言うことと一緒ではないか?というような話をされ、
「神様はほんとに良くしているのですよ。喜びだけを転がさないの、悲しみ苦しみのウラに喜びを置いておられるのですよ」
「栗でもそうでしょう。イガを取って焼き、手を真っ黒にして剥いて初めて美味しい栗が食べられる」と例えられた。
そしてこんなことも言われた。
「自分の道に外れていると、何をしてもどれだけ金を儲けていても楽しくない。商売をしていてもいつもフワフワしている。君もどんなことをしていても楽しくなかった。これは違うといつも思っていた。このままでは自分は奈良へ行きたいのに、三重へ行ってしまうと云うようなものだった」と私を見抜いて話を続けられた。
「神様が私に言っておられる、君が前世に歌った歌を代わりに歌ってくれるようにと。さぁ、ヤマトの歌ですよ。何がいい、次の中から選んでみなさい」
私は、さくら、松、杉、うめ、もや、ゆり、と挙げられた中から”さくら”を選んだ。
師はすぐ琴のような声を出し、前奏から始められたのが次の歌“ヤマトや桜”です。
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